留学体験記 vol.6-1

松山耕さんは1992年生まれ。1年生のときに参加したファースト・ステップ・プログラムで、訪問先でというよりは、どちらかというと一緒に参加した北大生にショックを受けたようです。元々の性格なのか、法学部で培った能力なのかはわかりませんが、自分に必要か否かを取捨選択して、必要と感じれば全力を尽くして課題を克服する姿勢はお見事。
お話をうかがっていて、松山さんのように周りの空気に流されずにしっかり自分を見つめることが、留学をする人にこそ必要と感じました。


page 1・・・留学前:これに行ったら多少なりとも国際政治を肌で感じられるのかなと
page 2・・・FSP:彼のおかげで、僕は焦らず自分のやりたいことを見定めつつ勉強ができている
page 3・・・ニュージーランド留学:積極的にいくかで、話せる話せないが変わってきちゃう
page 4・・・後輩へ:課題を克服するためにもがくのが一番大事だと思います

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出身は青森県です。妹が2人います。野球を小学校2年生から高校までやっていました。
前期で東北大を受けて、後期で北大に入学しました。今は北大に来てよかったなと思っています。キャンパスも北大の方がきれいだし、街が近いし。

法律に興味があったというよりは、高校のときに倫理や世界史が好きで、学校の先生に相談して「お前は現代文とかも得意だし、法学部がいいんじゃない?」って言われたので。それだけですね(笑)。将来については全然何も考えてなかったですね。何かしら地元から離れて遠くで働きたいという気持ちはあったんだと思いますが。

――ご自身の性格を自己分析すると?

見栄っ張りで(笑)。見栄っ張りだけど、見栄を張り続ける根性はそんなにない、みたいな。ダメな人です。でも人と関わったりすることが好きで、友達は多い方だと思います。

――2012年2月のファースト・ステップ・プログラム*第1回:ラオス・シンガポールに参加されたんですね。きっかけはなんだったんですか?

教養の授業で、鍋島孝子先生の「国際政治とアフリカ」というフレッシュマンセミナーを受けたんです。国際政治が実際どういう風に動いているのかとか、主に冷戦期の大国―アメリカとソ連の動きがアフリカの国に対してどういう影響を及ぼしたのかということを授業でやったんですが、そういうのがすごく面白かったんです。FSPの訪問先にもJICAとか世界銀行とか大使館とかがあったので、これに行ったら多少なりとも肌で感じられるのかなと思って参加しました。あとは漠然と海外に行ってみたかった。はい、FSPが始めての海外でした。

お金は15万くらいかかりましたが、助成金もいただけたので、学生に優しかったなと。ラオスやシンガポールには普通にしてれば行けないので、すごく楽しかったですね。

――ご両親の理解はありましたか? ご両親ってどんな人ですか?

僕はバイト代から出したので、特に頼みとかはしなかったです。「気をつけろ」と言われただけですね。両親は、僕が将来やりたい仕事がないということを知っていたので、「やりたいことのヒントが見つかったらいいね」と言ってくれました。現地に行ったらめっちゃメールを寄越してきたので気になってはいたみたいですが(笑)。

――英語は元々得意だったんですか?

文系にとっては受験では稼ぎどころですから、得意な方ではあったと思います。ただFSPに参加して、まったく喋れなくて困ったなと。途中交換留学も考えていたので、TOEFLのために勉強したんですけど、人と喋らないとスピーキングは上がらないと感じて…。交換留学はやめたので、語学留学に行くことにしました。

はい、3年の後期からの交換留学に行こうと思っていたんです。FSPで出会った先輩が、交換留学に行っていた方が多くて、すごく英語も喋れていたし、訪問先での質問もいい質問ばっかりしていたので、憧れたんですよね。でもよく考えたら、自分はそんなに行きたいわけではないんだなと思ったんですよ。確かに先輩たちはすごい人たちだし憧れるんですけど、北大で勉強できることやその他の活動やバイトも続けたかったので、交換留学は行かなくていいかなという気持ちになりました。


*First Step Program(ファースト・ステップ・プログラム)概要 (外部リンク:新渡戸カレッジオフィス)