附属図書館長から

「人類の知に触れ、想像力を培う図書館」

館長写真

 21世紀、日に日に進化するIT革命の時代の真っ只中にあって、図書館はどのような意義を持ちうるのでしょう。今や、種々の書物や雑誌、あるいは音声や映像はほとんどが電子化されて、キンドルやユーチューブ、あるいはオープンアクセスのデータベースなどのネットワークの中に蓄積され、いつでもどこでもスマートフォン片手に垣間見たりダウンロードすることができる時代です。そんな時代にあって、図書館にはどのような存在理由があるのでしょう。
 日々の実感で言うとすると、そこに行けば授業の教科書や参考書が一通りチェックできる、好きな時間を個席で一人過ごせる、友達と試験勉強ができる、映画やドキュメンタリーが視聴できる、待ち合わせに使える、etc. etc.、日々の大学生活に忙しい学生の皆さんには、図書館とは大学の教室に通う折りの待合室のようなものかもしれません。もしもそうなら、何も一見古めかしい書籍の館にわざわざ立ち入る必要もなさそうにも思えます。IT革命の時代、ちょっと街へ出て、トレンディなカフェの一隅を独り占めし、好きなドリンクを片手にスマートフォンでネットサーフィンし、SNSに目を凝らすだけで、今や多くの「情報」を手に入れられます。そうであれば、図書館に行くのは試験勉強のモチベーションを上げるくらいのものでしかないようにも見えます。図書館はそんな場所と感じている人も、あるいは多いかもしれません。ですが、図書館とは、それも特に大学の図書館とはそれだけの場所なのでしょうか?
 もちろん、図書館は授業の「待合室」としても意義がないわけではありません。大学での勉学生活の大事なアクセントでもあるでしょう。しかし、それだけかと言えば、答えは、全く以って、否、です。
 本が好きだ、いろいろな本に接したい、だから図書館は大事だ、と言う人もいるでしょう。確かに、本の素晴らしさはいうまでもありません。それでも、その場合は、本の「何」が素晴らしいのでしょう。
 現在ではなかなか手に入らない古い本が見られる、だから図書館は史料館のように大事なもの、という人もいるかもしれません。確かに、様々に出版され、そして廃刊ともなってゆく本を蓄えておいて、後代の人々の目に触れさせること、それも大事です。それでも、図書館とは史料館に止まるものでしょうか。
 図書館は魂を耕す場だ、という人もいます。確かに、多くの本に触れるうちに人の知性や魂が磨かれてゆきます。それは人格形成にとても大きな意味を持つでしょう。それでも、そもそも、その耕すべき人の知性や魂はどのようにして造られるものなのでしょう。
 そのように問いながら、図書館に来てみてください。あるいは施設は場所によって古く、必ずしも便利というわけでもなく、開架に並んだ本の中には擦り切れているものもあるかもしれません。それでも何かしら感ぜずにはいられない図書館の魅力があるはずです。その魅力とは、何なのでしょう。
 それは、図書館には、人間や社会、そして自然に係る真理を探求して来た、人間の広大無辺な知の世界が広がっているからであり、そしてそれがボリュームあるリアリティを持って私たちに迫って来て、私たちをそこへと誘うからです。仮に、スマートフォンの画面一杯に種々の図書へのリンクが所狭しと貼り付けられていたとしても、図書館のこのリアリティに勝るものではないでしょう。本の山に文字通り四方を囲まれながら、本と共に息づき、本の中の世界に想像を羽ばたかせ、多くの刺激を受けながら自らの思索を深める――それは、啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーが喝破したとおり、「学ぶとは、或る一時の間に、人類の偉大な知的遺産に触れ合うこと」という稀有な体験への通路であり、それこそが図書館がその根底において証示するものなのではないでしょうか。
 本学の附属図書館・北図書館は、日本全国の大学図書館の中でも、蔵書数は言うまでもなく、創造的な活動とサービスでよく知られています。そこには人類の知に触れ、想像力を培う場があります。このような図書館の魅力に触れ、それを感得することなく大学生活を送るとすれば、まさに、ルソーが教えてくれている、若く清新な内に人類の知の永遠に触れる瞬間を失うことになるのではないでしょうか。皆さんはどう思うか、そのことを確かめるためにも、まずは図書館へ足を運んでみてください。
北海道大学理事・副学長
附属図書館長・北図書館長
 長谷川晃(はせがわ・こう)