留学体験記 vol.2-1

岸田望美さんは1990年生まれ。2012年8月から翌年5月まで交換留学によりカナダのアルバータ大学で学んでいました。元々は「人見知り」だったと言う彼女。留学中は「飛び込んでみる」ということを意識的に行ったことで、勉強面でも交友関係でも世界が広がり、たくさんのものを得てきたそうです。
理学部で交換留学をする人は珍しいとのこと。強い意思で留学をやり遂げた彼女は、静かな自信に満ち溢れているように見えました。


page 1・・・留学前:海外というものは遠かったですね、自分にとって
page 2・・・留学中:飛び込もうと留学中は思っていました。それで得たものは多かったですね
page 3・・・留学後:今まで喋れなかった人と喋ることで、自分の世界が広がる
page 4・・・後輩へ:誰もやってくれないからこそ、無限の可能性があります

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群馬県出身です。姉が二人います。小学校からバレーボールをずっとやっています。自分の性格ですか?ドロドロした人間関係とかは嫌いで、サッパリした性格だと思います。嫌なことがあっても寝たら忘れます。

北大は後期で受験したのですが、父が北海道出身で何回か来たことはあったんです。姉も北大志望で大学見学に来たこともあって、緑の多い環境がすごくよいなと。それから高校3年生の時にはまだ自分の専攻を絞っていなかったので、理学部という大きな括りで入学でき、入ってから悩むことができるということも大きなメリットでした。

小学校のときから宇宙のことを勉強したいなという気持ちはあったんです。ただ将来のことを考えたり、他の分野にも興味がでてきたりした部分もあって、大学1年生の頃は悩んでいました。研究室を見に行ったり自分で将来にどのような道があるのかなと調べたりして、最終的には宇宙をやろうと決めました。

宇宙の魅力ですか? 分かっていることよりも分からないことの方が多いフィールドってすごく少ないと思うんですよね。わたしは自分が何かを発見するというのが実はそれほど好きじゃなくて。だから研究者には向いていないと思うんですけど、「知る」ということはすごく好きで。どんどん新しいことが発見されていくこのフィールドにはすごく興味がありましたね。

――女性で物理を専攻している人は比較的珍しくはないですか?

宇宙物理に限定すると、他の物理系の研究分野よりは多いと思います。ただわたしの代の物理学科は40人中女子が4人という世界なので、物理という括りだと少ないですね。

――岸田さんはカナダのアルバータ大へ留学していたんですね。留学を意識されたのはいつ頃だったのですか?

大学に入る前から留学自体には興味がありました。ただすごく遠い話というか。それまで海外旅行にすら行ったことがなかったので、海外というものは遠かったですね、自分にとって。

大学3年生のときに理学部の理数応援プロジェクトの一環として、ハワイにあるすばる望遠鏡に行こうという研修旅行があって、それに応募して参加することができました。実際に行ってみて、4泊6日と短かったんですけど、日本とは違う世界が広がっていって、いろいろなことを感じて。これは自分を投げ込んでみるべきだなと思いました。

――留学先としてカナダを選んだ理由はなんですか?

まず英語圏がよかったというのと、天文を学べる場所であるということ。そもそもAstronomyを学べる大学ってあまりないんですよね。それで絞ると数えられるほどしかない。

その中でわたし自身の個人的な興味として、異文化の交流ですとかいろいろな文化を体験したいなというのがあったので、カナダを選びました。

――4年生に留学をした理由はなんですか?

わたしの場合は、1年生で留学のための活動を始めて、一旦やめて。
3年生の夏にすばるの研修があったので、その研修に行くまでは「なんとなく行けたらいいな」という感じで過ごしてきてしまったので、スタートが遅れてしまったんですね。

――1年生のときに留学の準備を挫折したというのは? もしよければ理由をお聞かせ下さい。

1年の初めの頃、留学説明会に行ったりしていたんですが、理学部の留学ってほとんどないんですよね。わたしの前年に行った子が留学したときは、理学部には交換留学や単位互換のシステムすら確立されていない状態で。わたしが単位互換のシステムを確立した第1期生くらいの、理学部への定着のしていなさというのがあるんですよね。当然周りはそういう活動を全くしていない、その中で時間を取って動かなくてはならないというのと、1年生のときは他のことが楽しい時期だったので(笑)。両方相まって、後でいいかなという気持ちになって挫折しちゃいました。

――そうだったんですね。留学の準備はどのように進めて行ったのですか?

国際本部の方と連絡を取り合って進めました。

普通は、だいたい年度初めから準備をして、次の年の9月に留学に行く方が多いんです。わたしの場合は3年生の9月に「行こう!」と思って、10月くらいから動き始めて、次の年の9月開始のものに応募したかったので、もう2次募集しか残っていなかったんですよね。3月まで詰め込みで、TOEFLの点数をとらなくてはならないとか、面接があったり、TOEFL以外の自分の英語力も上げなくてはいけないとかもやっていたので、きついスケジュールではありましたね。

――お金はいくらくらいかかりましたか? ご両親の理解はありましたか?

わたしは小旅行もしたし、かなり贅沢に使った方だとは思います。保険なども併せて最低200万円はないと自由にできないかなと感じました。奨学金をもらって、貯金を使って、両親に出世払いでと借金して。

両親には一度も反対されませんでした。父が三人娘のうち一人は海外に行くべきだという考えでして。自分が海外に仕事で行っていた時期があったので、行くと違うと本人がわかっていて、誰か一人は行かせてやりたいと考えていたらしいです。ただあまり押し付けるような親ではないので、言い出してきたら行かせようと思っていたそうです。なので「行きたい」と言ったら「行ってこい」と。母はすごく心配していましたけど。

この年になって理想の親だなと思うようになりました。昔はものすごく反抗したんですけど(笑)。今はすごく尊敬しています。勉強のことについて何も言わないんですね。「しなさい」とは言わない。「こういうのがあるよ?」と提供はしてくれるんですけど、絶対に押し付けない。良いか悪いかわかりませんが、進路についてもまったく口を出してこない。ただわたしが高校のときに「宇宙物理をやりたい」とポロッと言った後、しばらくしてから「こういう研究があるみたいだぞ」と、日本の大学にある宇宙物理が出来る研究室の主な研究テーマの概要集のようなものを出してきたり(笑)。「人様に迷惑をかけさえしなければ、やりたいようにやりなさい」とわたしの選んだ道を常に尊重し、サポートしてくれるような親ですね。

高校のときは月に1,2回合宿をしているような忙しい部活で。中学のときは一時期県選抜のメンバーだったので ほぼ毎週合宿なんですが、それにもほとんど毎回のように来る親で。大会は全部ビデオに撮ってくれて。単純に親がバレーボール観戦が好きということもあったんですけど(笑)。姉もバレーボールをやっていて、姉の時もそうだったので、子供のために本当に時間を割いてくれる親でした。

礼儀にはものすごく厳しくてよく引っ叩かれたんですけど、そういうところも含めていい親だなと。

――語学に対して不安はありましたか? どのような対策をしましたか?

不安はありました。すばる以外で海外に行ったことはなかったし、家族で海外旅行に行ったこともなかったし。自分の語学力には不安はあったんですが、もともと英語が好きだったので勉強は苦にならなかったです。Skypeでネイティブと話をしたり、北大で開催されていたTOEFL対策講座に参加していました。TOEFL講座はキツキツの集中講座でしたね。これのおかげで10点上がってぎりぎり基準に達しました。わたしの場合はSkypeはそこまで効果はなかったかな。あとは英語で日記をつけるとか。TED*は常に聴いていたのでリスニングは上がったと思いますね。

図書館も使いましたよ。3年後期が留学の準備期間だったんですけど、その頃は物理学科の勉強もすごく忙しくて。平行してやっていたので、参考資料のある図書館の3階とか4階に入り浸っていました。


*TED…学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう大規模な講演会を開催するグループ。2006年から講演会の内容をインターネット上で無料で動画配信するようになり、その名が広く知られるようになった。スローガンは「ideas worth spreading (広める価値のあるアイデア)」 http://www.ted.com/ (外部リンク)

    

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