留学体験記 vol.1-2

――渡部さんが留学していたイェーテボリ大は、1891年設立の歴史ある大学なんですね。キャンパスの雰囲気を教えてください。

ヨーロッパということで建物がモダンな感じで立派でした。

経済学部棟(渡部さん提供)

経済学部棟はガラス張りで、北欧はデザインが優れているという点からも、シンプルなんだけど ひろびろとしていたり、どこか趣があったり。あと無線LANが学校中に通っていたので、構内での自習やグループワークがしやすかったです。

――スウェーデンはどんな国でしたか?

僕がついた8月は、昼間はすごく暑いんです。太陽が低いので。すっごくギラギラしている。日が沈むのも遅いんです。ただ9月から日の入りが早くなり、冬にはお昼前に「日が昇ったかな?」と感じたあと、15時には日の入りのような感じでした。

でも人は陽気なのと、クリスマス前から街がクリスマス・新年仕様となってきれいでしたし、友達とパーティーで盛り上がれたこともあって、外が暗いのはそんなに抵抗なかったです。

現地では暗いのを楽しんでいるというのもあるかもしれないです。日本だとすごく明るい照明をつけるじゃないですか? でも向こうの家って暗い照明の中で生活している。それとかロウソクの灯りで生活しているんです。僕自身も机のスタンドだけつけて、窓辺にロウソクを並べてその光で暮らしていました。

向こうでは寮に住んでいました。僕は幸運にも希望していた寮に住むことができました。漏れてしまう人は自分で探さなくてはいけないので大変なんですけどね。僕は留学生や現地の学生が利用できる、一番大きなエリアの寮の一人部屋で暮らしていました。

授業は難しかったですね。留学直前にTOEICを初めて受けて795点だったのですが、それでも足りないと留学前からぼんやり意識してましたし、留学後ははっきりと自覚させられました。英語の音を聴いていると頭が痛くなってくるとか疲れてくるとか、なかなか聞き取れないとかありましたね。

それに僕は経済史系の授業を取っていたので、読書課題がすごく多くてそれにすごく苦戦しました。2週間で最低100ページとか。

――授業は英語なんですか?

そうですね。スウェーデン語を学ぶ授業も希望者にはありましたが、基本的には全部英語です。文献を読み込んで、グループプレゼンテーションと個人レポートもしくはグループレポートが課されました。

――討論もしなくちゃならないし、語学力は試されそうですね。

主体的に討論に参加できなかったなあというのが後悔としてあります。

でも留学って実は思ったより英語できなくてもできるんですよね。例えば、英語が全然できなくても海外で働いている人もいますし・・・。

まあ、正直、英語はそれほどできなくても留学して、なんとか無事に帰ってくることは可能だと思います。僕が留学していたときも、英語での授業についていけていない西欧人留学生もいましたし、英語・または現地の言葉ができなくても働いている人はいましたし。なのでどっちかというと英語というより度胸が試されるのかなと。英語ができないからといって留学ができないというわけじゃないという点は重要かもしれないですね。

――事前に準備しておけばよかったと思うことはありました?

授業関係は自分のとる授業を決めておいて準備したほうが良かったかもしれないです。半年で4つ授業を取れて、多くはないのですが、日本人で英語が苦手ということがあって大変でしたね。周りのレベルがやっぱり高くて。単位はもらえたのもあり、もらえなかったのもありでした。

対人関係で苦労することは幸運にもありませんでした。

ザリガニパーティーの様子(渡部さん提供)

これはザリガニパーティーのときの写真なんですけど、夏の終わりに、ザリガニ漁が解禁されて、ザリガニパーティが開かれるんです。味は、川ザリガニと海ザリガニがあって川ザリガニは泥臭い感じです。あと産地がどこかでも味が変わってきますね。僕はあまり抵抗なくて一人で30匹くらい食べました。冷凍したやつを「食べないからあげる」とか言われて(笑)。

お別れパーティーにて(渡部さん提供)

この写真に写っている友達が本当に仲の良かった友達で、今、日本に留学しています。向こうにも日本語学科というのがあって、日本のアニメとか歌とかいろんなものが向こうでは人気です。これはフェアウェルパーティーの写真なんですけど、ヨハンという名前を漢字で書いたものを額つきでもらったんです。どうすりゃいいんだろと思いましたけど、ありがたくいただきました。今もちゃんと持ってます(笑)。友人にはスウェーデンの子もいますし、日本人の留学生とも知り合いになったし。

――どこの国からの留学生が多かったですか?

EUの中の人は確か授業料なしで留学できると思ったんですが、いろんな国からの留学生が来ていました。アジアの人もいて、あまり偏りはなかったと思いますよ。

――イェーテボリでの暮らしはどうでしたか?

このとき円高だったということもあって、そこまで物価が高いとは思いませんでした。生活必需品に関しては安いものがあります。ぜいたく品になるにつれて税率が高くなりますが。ジャガイモとかの食品だったらグラム単位で買えたので自分で上手く買う量を調節できたりしました。食べ物はそんなに困らなかったですね。

インスタント味噌汁とかを送ってもらったこともありましたが、あとで必要なかったなと気づきました。日本食を取り扱っている店もあるんです。

スウェーデンにはラクリスという有名なお菓子があって、黒くてすごくマズイ。たとえると、「しょっぱいゴムタイヤ」、なかには辛いのもあります(笑)。現地の人でも嫌いな人はいるんですが、基本みんな好きなんですよ。

それからシュールストレミングという世界一臭い缶詰もスウェーデン。

あと珍しい食べ物といえば、ムースという、ものすごくでっかい鹿の肉を食べさせてもらったのがいい思い出ですね。ムースを捕れる期間や量は限られていて、一般に市場に出回ることがほどんどないんです。出回るとしても豚とか牛とかの混合だったりするので。100%ムースを食べさせてもらったのが幸運だったなと。くせの少ない牛肉という感じでした。

印象に残った思い出をひとつあげるとすれば、オーロラを見に行ったことです。寝台電車で片道一日かけて。2011-2012年の僕がいた冬は13年に1度 のオーロラに恵まれた年と言われていて、でも3泊4日ほどして1回しか見れなくて。きれいでした。最初は灰色の雲みたいなのがあるなと思って眺めていたら 急に緑色になって。瞬きしてる間にヒュッと変わっていったり。幸運でした。

――初めて実家の外で暮らして、自炊など大変ではなかったですか?

始めはスーパーやコンビニに行くのも怖かったです。カードの機械があるんですけど支払い方法がわからなかったりして。その使い方さえわかれば大丈夫でした。