スラブ・ユーラシア研究センター図書室
Library, Slavic-Eurasian Research Center

コレクション 【 その他 】 (2004年度収集分)

コレクション 【 その他 】 (2004年度収集分)

ロシア国家軍事史文書館所蔵日露戦争関係史料その他 / ≪Туркестанские ведомости≫(『トルキスタン報知』) / ハプスブルク帝国統計年鑑 / その他(マイクロ資料)


スラブ研究センターニュース「図書室だより」に掲載の解説などを編集したものです。


【1】 ロシア国家軍事史文書館所蔵日露戦争関係史料その他

スラブ研究センターはこのほど、2003年度に開始された21世紀COEプロジェクトの経費により、Primary Source Media社の販売する The Russo-Japanese War, 1904-1905 from the Military Science Archive を購入しました。これは、ロシア国家軍事文書館(Российский государственный военно-исторический архив, 略称 РГВИА)の所蔵する日露戦争関係ファイル(Фонд 846. опись 16.)の文書を選択の上、マイクロフィルム全170巻に収めたものです。
日露戦争の終結後、ロシア軍事省はワシーリー・グルコ少将(1864-1937)を長とするチームを編成し公式戦史の編纂を命じた。こうして生まれたのが、1910年に9巻16分冊で刊行されたРусско-японская война 1904-1905 гг. Работа Военно-исторической коммиссии по описанию Русско-японской войны, СПб.: А.Ф. Маркс, 1910. ですが、今回購入したセットは、上記戦史の編纂のためにロシア帝国軍の戦史部が収集した史料約11,000点がもとになっており、ちょうど100年前に戦われたこの戦争に関するロシア側の原史料集成として重要性は大きいと言えます。
ついでながら、センターではこの他、同じロシア国家軍事史文書館の所蔵する内戦関係文書についても購入しました。赤軍関係文書 The papers of the Red Army, 1918-1923 が全76リール、白軍関係文書 The papers of the White Army, 1918-1921 が全71リールで、発売元は同じく Primary Source Media社です


【2】 Туркестанские ведомости(『トルキスタン報知』)

 このたびスラブ研究センター図書室は帝政ロシアの新聞 ≪Туркестанские ведомости≫(以下『トルキスタン報知』と表記)のマイクロフィルム版を購入した。『トルキスタン報知』は1870年4月28日の第1号にはじまり、1917年12月27日までタシケントで刊行されたトルキスタン総督府の官報である。刊行頻度は1870年から1903年までは日曜と木曜の週2回、1904年には日曜、水曜、金曜の週3回、1905年から1907年にかけては日曜、火曜、水曜、金曜の週4回、1908年以降は祝日の翌日を除く毎日刊行された。1917年の二月革命による帝政崩壊を契機に、同年3月19日号より同新聞の発行主体は臨時政府トルキスタン執行委員会に移された。今回収集されたマイクロフィルム収録範囲は、1894年2月6日号(通巻第1247号)から1911年12月31日号(通巻第4173号)までである。なお、1915年1月1日号(通巻5026号)から1917年12月27日号までについては、2002年に収集された「19世紀末-20世紀初頭の中央アジア新聞集成」に収録され、同じくマイクロフィルムで読むことができる(本誌89号(2002.5)参照)。
センター図書室は、トルキスタン総督府に隣接するステップ総督府が発行した『ステップ地方新聞』(≪Dala walayatining gazeti≫.1888-1902. Омск)のマイクロフィルムを併せて所蔵している。『ステップ地方新聞』が同一紙面上にアラビア文字カザフ語版とロシア語版とを併記するに対し、『トルキスタン報知』の紙面は全てロシア語であり、同官報はもっぱら総督府管内のロシア人を主な購読層として想定していたと判断できる。しかしこれと並行するかたちで発行された 『トルキスタン地方新聞』(≪Turkistan wilayatning gazeti≫.1870-1917. Tashkent)はアラビア文字ウズベク語(初期はカザフ語でも書かれた)を使用しており、同じくセンター図書室で閲覧可能(マイクロフィルム)である。これら各紙のより詳細な比較検討は今後の課題と考える。
『トルキスタン報知』の紙面は大きく「公式欄 официальный отдел」と「非公式欄 неофициальный отдел」に分かれる。公式欄は総督府内部における命令や通達、役職人事、中央官庁の命令などを記載する。非公式欄ではその当時総督府内で持ち上がっていた政治、社会に関する様々な議論が紹介され、同時代のトルキスタン総督府官界の様相を垣間見ることができる。それは例えば鉄道の敷設、綿花産業、現地民の教育問題、植民問題など多岐にわたるものである。また植民地現地民の慣習や習俗などの民族誌、自然環境などが紹介される。タシケントを中心とする定住民地域に関するものが多いが、天山山脈をはじめとする山間部の遊牧民地域についても少なからぬ情報を提供してくれる。我々はまさにロシア人が征服地域に関して様々な情報を収集し、支配地域として構築していこうとする過程に立ち会うのである。トピックは総督府管内にばかり限定されるものではない。非公式欄では、続けてロシア帝国内の各種情報が報告され、さらに「外国情報」として世界各地の情報が外国の新聞を抜粋する形で紹介されている。特に英露間のグレート・ゲームを反映してかイラン、アフガニスタン、インド、中国の情勢はその中でも大きな比重を占める。まさに「帝国の時代」のなかのトルキスタンが読者の前に姿を現すにちがいない。 [スラブ社会文化論専修博士後期課程1年 秋山徹]

 


【3】 ハプスブルク帝国統計年鑑

スラブ研究センター図書室では、資料の収集の中心はロシアにありつつも、それと同時に少なからぬ注意を東ヨーロッパに払ってきたことをその蔵書構成は教えてくれる。特に統計年鑑や官報、辞典、参考図書などには高い順位が与えられ、優先的に収集されてきたわけである。ところが、ハプスブルク帝国については、統計年鑑も議会議事録も所蔵しない。これは、ハプスブルク帝国が、その解体以前は欧州の大国であったため、センターあるいは北大では所蔵せずとも、国内的には東大や一橋大などいくつかの図書館がすでに所蔵するということによると思われる。センターが乏しい懐から多額の購入費をそうしたものに振り向けるよりは、センターとして別に収集すべきものがある、という考え方である。
しかし国内にあるとは言っても、札幌の住人にとってはそう手軽に利用できるものではなく、東欧を専門に勉強しようという大学院生たちがぼちぼち札幌に集まりつつあるこのごろ、時機を見て収集しておくことが適当と考えてきた。
今回入手したものの範囲は、Tafeln zur Statistik der Osterreichischen Monarchie.(1842年版-1855/56/57年版)、Statistische Jahrbuch der Osterreichisch?Ungarischen Monarchie. (1863年版?1881年版)、および Osterreichisches statistisches Handbuch. (Jahrg. 1-43,1882年版-1916/1917年版)である。
なお、この資料の購入に際しては、科学研究費補助金「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」(研究代表:林忠行)が使用された。


【4】 その他(マイクロ資料4点)

(1) Дело(事業)--ペテルブルクで1866年から1888年にかけて刊行された月刊誌です。この雑誌は、ドミートリー・ピーサレフ(1840-1868)、セルゲイ・ステプニャーク=クラフチンスキー(1851-1895)、ワシーリー・ベルヴィ=フレロフスキー(1829- 1918)、ピョートル・ラヴロフ(1823-1900)など多くのナロードニキ系の論者が寄稿する、影響力のある雑誌でした。なお、この資料は、東京外国語大学附属図書館が1988年度大型コレクションとして収集した「ロシアナロードニキ研究史料集成」にも含まれていて、同館でも利用することが出来るものです。

(2) Сын отечества(祖国の子)--1812年からペテルブルクで刊行された雑誌です。ニコライ・グレチ(1787-1867)を編集者として出発したこの雑誌は、内外の政治情勢をはじめとして、歴史・地理に関する論文も多く掲載され、さらにはロシア語による文学・評論の発表の場としても重要なものでした。今回は、その創刊から1837年までの分についてマイクロフィッシュ版を購入しました。

(3) Основа(基礎)--ペテルブルクで出版されたウクライナ知識人の雑誌です。ワシル・ビロゼルスキー(1825-1899)を編集者とし1861年に創刊された本誌は、わずか2年足らずで廃刊に追い込まれましたが、パンテレイモン・クリシ(1819-1897)、ミコラ・コストマーロフ(1817-1885)などが参画し、文学、言語、教育、歴史を論じて、ウクライナ民族運動の画期となったものです。

(4) Stenografische Bericht uber die Verhandlungen der deutschen Constituirenden National-versammlung zu Frankfurt am Main‐‐1848年のドイツ三月革命期に開催されたフランクフルト国民議会の議事録です。全部で78シートに収められたこの史料は、民族運動の揺籃期にあった中欧における政治運動の基本的な記録と言えましょう。

 


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