スラブ・ユーラシア研究センター図書室
Library, Slavic-Eurasian Research Center

コレクション 【 その他 】 (2003年度収集分)

コレクション 【 その他 】 (2003年度収集分)

ロシア外務省関係資料(マイクロフィッシュ) / 日露戦争捕虜収容所関係資料 /
ボリス・ニコラエフスキー・コレクション追加補充

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スラブ研究センターニュース「図書室だより」に掲載の解説などを編集したものです。


【1】 ロシア外務省関係資料(マイクロフィッシュ) 3点

(1) Ежегодник Министерства иностранных дел. год 1 (1861) -53 (1916). (год 7-8 (1867-1868) および год 47 (1910) を欠く)
ザイオンチコフスキーの?Справочники по истории дореволюционной России. Изд. 2-е?(М.,1978) によれば、 後者は大臣の命令により破棄され出版されなかったという。 このタイトルが付くようになったのは途中からであり、 当初は仏語で、 Annuaire diplomatique de l'Empire de Russie .と題された。 Год39(1902) までは仏文、以後は露文。 内容は、皇族リスト、政府首脳部人名表、外務省中央および在外公館に勤務する幹部職員表、 在露外国公館リスト、勅令等の関係主要法令、予算、省内規定、対外条約・協定等の資料から成る。帝政ロシアの外交関係に関する基本史料として役立つものであろう。

(2) Известия Министерства иностранных дел. [г.1] кн. 1. (1912) - г. 6. кн. 1/2. (1917).
隔月刊の本誌は、ロシアの締結した条約類、対外関係に関係するロシアの法令類、 その他の資料(外務大臣の国会演説など)、領事報告、および関係論文を収録する非公式部分から成る。 わずか5年余りしか刊行されなかったのが残念だが、(1)と並ぶ当時のロシア外交に関する基本史料として位置づけられよう。ただし、前述のザイオンチコフスキーの本には載っていないようである。

(3) Сборник Московского главного архива Министерства иностранных дел. Вып. 1 (1880)- 7 (1900).
外務省文書館に保管される文書を多数紹介する。また Вып.1の最初の部分には、文書館の所蔵する 文書の概要を述べたフランス語の論文がおかれている。なお、この文書館の所蔵史料は、 ロシア革命後の転変を経て、現在はロシア帝国外交文書館Архив внешней политики Российской Империи, 略称 АВПРИ に収蔵されている。


【2】 日露戦争捕虜収容所関係資料

日露戦争時には、日本国内各地に捕虜としたロシア軍将兵の収容所が順次設置され、戦争末期には7万人を超える収容者があった。スラブ研究センター図書室は、最近、このうち姫路および福知山に設置された収容所に関する若干の資料を購入することができたので、ご報告したい。

姫路俘虜収容所は、松山および丸亀に続く3番目の収容所として1904年8月1日に開設され翌1905年12月28日に閉鎖された。福知山俘虜収容所は4番目の収容所として1904年9月9日に開設され、1906年1月6日に閉鎖された。いずれも下士卒のみを収容し、姫路収容所は陸軍1760名、海軍424名の計2184名を収容する、どちらかといえば大規模の、福知山収容所は陸軍390名、海軍1名の計391名を収容する小規模の収容所であった。 今回入手した資料は、それぞれ別個の古書店を経た2つの部分から成る。すなわちその第1部分は、写真帖2冊、絵葉書帖1冊、および収容所日誌6冊、「俘虜ニ関スル取調書」、「福知山収容所職員名簿」等18点の文書、書簡30通より成る。 追って別ルートより入手した第2の部分は、写真帖3冊、厚紙の台紙に貼った写真11枚、および書簡21通より成る。 いずれの部分についても、書簡の受取人はそのほとんどが田中昌太郎後備役陸軍中尉であり、その他の文書類、写真帖に関しても、全てが田中中尉の管理下にあった品と推定している。本年1月29日より2月1日までセンターにおいて開催された国際シンポジウム『20世紀初頭のロシア・東アジア・日本: 日露戦争の再検討』に際して、写真展『捕虜となったロシア軍将兵:日露戦争の一断面』を1月28日~31日の間開催したが、第1部分の資料をこれに展示することができた。
日露戦争時のロシア軍捕虜収容所に関しては、当時の陸軍省の手になる『明治三十七八年戦役俘虜取扱顛末』(有斐閣書房、1907年)があり、また才神時雄『松山捕虜収容所』(中央公論社、1969年)などもあるが、個別の収容所に関する記録、文書、研究は決して多くなく、100年の歳月を経た現在、不明の部分が大きい。今回入手した資料の所持者であった田中昌太郎は、福知山収容所の開設と同時にそこに着任し、翌1905年6月には姫路収容所に異動したが、この間一貫して収容所運営上キーパーソンの位置にあったと考えられる。姫路および福知山収容所に関しては、これまで桧山真一氏による仕事「福知山俘虜収容所のロシア人下士官の手記」(『共同研究日本とロシア』(早稲田大学安井亮平研究室、1987年)所収)および「俘虜と製革:姫路のポーランド人ミハウ・ムラフスキ」(同第3集、一橋大学中村喜和研究室、1992年所収)があるが、今回入手した資料が今後の研究の発展に資するよう、逐次、解題・翻刻等を進める予定である。


【3】 ボリス・ニコラエフスキー・コレクション追加補充

1993年から94年度にかけてスラブ研究センターは、ロシア革命・社会主義運動に関する重要史料である米国スタンフォードのフーヴァー研究所文書館が所蔵するボリス・ニコラエフスキー・コレクションのマイクロフィルムのUnit 1から11までを購入している(センターニュースno. 58(1994.7)を参照)。しかし、その後、Unit 12以下が製作されたとの情報に接していたが、残念ながら長いこと追加補充ができずにいた。2003年度において、センターの21世紀COEプロジェクトが採択されたことから、このほどUnit 12-14を補充することができたのでお知らせしたい。Unit 12は41リール、Unit 13は35リール、Unit 14は41リールの計117リールから成る。まだ残りのUnitがあるが、遠からず完結させることができるものと期待している。


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