スラブ・ユーラシア研究センター図書室
Library, Slavic-Eurasian Research Center

レンセン・コレクションについて

レンセン・コレクションについて 

秋月孝子

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スラブ研究センターが1980年度の特別経費で購入したレンセン・コレクションは、日露・日ソ関係史の分野の著名な学者であったフロリダ大学の故ジョージ・レンセン教授(George Alexander Lensen,1923-1979)の旧蔵書である。

レンセン教授は1923年11月5日白系ロシア人の子としてベルリンで生まれ、1939年両親とともにアメリカに移住した。太平洋戦争末期にはアメリカ軍の情報部に勤務して、日本語を習得したのち、占領軍将校として来日し、その後の彼の研究を方向づけたということができる。やがてコロンピア大学に戻った彼は同大学の中国・日本学科にすすみ学位を取得している。1949年にフロリダ大学にポストを得て以来30年間(1960年教授)、彼はひきつづきこの大学で極東史を講義したが、その主要な研究テーマはロシア・ソ連の極東政策とくに日本との関係史であり、著書および編著は20冊余にのぽっている。その間1953-54年にかけてフルブライト研究員として北海道大学に籍をおき、主として市立函館図書館で北海道に残るロシア文化を研究した。1961年にはレニングラード大学に留学し、1973-74年にも交換研究員として再びソ連に赴いている。当センターでは日露・日ソ関係史研究の充実のため、同氏を 1979年度の外国人客員研究員として招聘することを決定していたが、来日予定を目前にして1979年1月5日交通事故で死去された。とはいえ、このたびレンセン未亡人およびハワイ大学ステファン教授の御好意によって、彼の蔵書が当センターに納められることになったのは、くすしき因縁というぺきであろう。

レンセン・コレクションは、約3000冊の単行本(日本語・中国語図書667冊、英・独・仏・露語などの図書2524冊)のほか、多数の雑誌類、別刷、パンフレット、手稿資料(タイプ原稿、ノート、学生のレポート、図書カード)よりなり、また文献のマイクロコピーやスライドも少なからず含まれている。即ちレンセン教授が研究資料として丹念に集め、保存していたもののすべてが一括してスラブ研究センターに受入れられたのである。蔵書の内容には、レンセン教授の専門であったロシアの極東における外交政策や日露関係史の文献がみられることはもちろんであるが、その多くは彼の研究の背景ともいうべき極東地域の政治、社会、経済、文化に関する広範な図書よりなっている。このことは彼の研究テーマが初期の日露関係史から始まって、韓国、満州をめくる日露・日ソの葛藤に移り、さらに極東地域全般の国際間題に拡がった過程をも示している。それにしてもこのような主題の選択は、ロシア語、日本語、中国語その他の外国語に精通していたレンセン氏のような人にして始めて可能であったといえよう。レンセン氏の著作は膨大な文献を駆使していることで定評があり、巻末には詳細な文献目録が付されているが、そのうちのかなりのものがこのコレクションに含まれている。またレンセン氏はそれまでほとんど利用されたことのない珍しい根本史料を堀り出し、それらを巧みに引用し、史料をして語らしめる叙述が得意であったが、それらの史料の多くがマイクロフィルムのなかに含まれている。このコレクシヨン中のいくつかの資料については、すでに毎日新聞(1981年2月3日付道内版、タ刊)、「スラブ研究センター・ニュース」7号(1981, Apr.)や北海道新聞(1981年9月2日付、夕刊)の中でふれられているので、ここではレンセン氏自身の著作や、草稿類について紹介しておきたい。

レンセン氏の著作は、Who's who in Americaによれば、著書、編著、翻訳書を合わせて21点であるが、その殆んど全部がコレクシヨンに含まれている、日露関係を扱ったものは次の3冊で、いずれも彼の初期の著作である。


Report from Hokkaido; the Remains of Russian Culture in Northern Japan
 (Hakodate, 1954), 
Russia's Japan Expedition of 1852 to 1855 (Gainsville, Fla., 1955), 
The Russian Push Toward Japan; Russo-Japanese Relations,1697-1875
 (Princeton, 1972). 

このうち最初のものは市立函館図書館によって出版された異色のものである。表紙には和紙が用いられ、当時の函館市長宗藤大陸氏の筆になる『北海道に於ける露西亜文化』という日本語著名が付けられている。本文は日本的な袋綴じになっており、珍らしい挿絵の多いことも特色の一つである。2番目の著作はプチャーチンの対日交渉史、そして最後のものは樺太千島交換条約に至るまでの日露関係の通史で、いずれもエピソードにとみ、精彩ある叙述がなされている。

これらにつづく時代を取り扱った日ソ関係の著書としては、

 
The Russo-Chinese War(Tallahassee,Fla.,1967) 
Japanese Recognition of the U.S.S.R.: Soviet-Japanese Relations, 1921-1930
 (Tokyo, 1970) 
The Strange Neutrality: Soviet-Japanese Relations During the Second World
 War, 1941-1945 (Tallahassee, Fla., 1972), 
The Damned Inheritance :the Soviet Union and the Manchurian Crisis, 1924-
 1935 (Tallahassee, Fla.,1974) 
がある。その他 D.I. Abrikossowの回想録
 Revelations of a Russian Diplomat: the Memoirs of Dmitrii I.Abrikossow <ed.>(Seattle, 1964), 
Sir Ernest Satowの日記
 Korea and Manchuria between Russia and Japan,1895-1904; Observations of
 Sir Ernest Satow<ed.>(Tokyo,1968), 
Albert d' Anethan 男爵の日本通信
 The D'Anethan Dispatches from Japan, 1894-1910 : the Observations of Baron
 Albert d' Anethan<tr.&ed.>(Tokyo,1967) 
John B. Will 船長の回想録
 Trading under Sail off Japan, 1860-1899; the Recollections of Captain John
 Baxter Will,Sailing Master and Pilot <ed.>(Tokyo,1968), 
Olga Poutiatine 伯爵夫人の書簡と日記の抜粋
 War and Revolution; Excerpts from the Letters and Diaries of the Countess
 Olga Poutiatine <tr.&ed.>(Tallahassee,Fla., 1971) 

のように一次資料としての日記や回想録を編集もしくは翻訳して紹介したものも多い。

Russian Diplomatic and Consular Officials in East Asia (Tokyo,1968)及びJapanese Diplimatic and Consular Officials in Russia(Tokyo, 1968)のようなハンドブックもある。編著的な性格をもつこれら出版物の多くは、レンセン氏自身が創設したフロリダのThe Diplomatic Pressと上智大学から出されている。学術書のほかにも日本とロシアの何げない街角の風景を写した2冊の大型写真集 Faces of Japan; a Photographic Study(Tokyo, 1968)やApril in Russia ; a Photographic Study (Tokyo, 1970)がある。いずれも日本の伝統的な菊花紋様などを浮きぽりにしたクロス張りの装丁の立派なもので、レンセン氏の日本文化への関心の深さの一端を偲ばせるものといえよう。

手稿類やタイプ原稿のなかで珍らしいものとしては、On a Fulbright in Hokkaido(A4版、28ページ)がある。これはレンセン氏がフルブライト研究員として1953年に家族をつれて来日した際の約7ケ月間(1953 年9月~1954年春)の函館滞在記である。この中では日の出ホテルでの生活を中心に、戦後程遠くない頃の函館の街頭風景や風俗、市民たちとの交歓が、彼の眼に映じたままに面白くのべられている。

始めのうちは「ガイちゃん」(外人の子)とよぱれていた彼の長女が、やがて「カレンちゃん」として街の人々の人気者となるにつれて、レンセン氏自身も「カレンちゃんのパパ」、「おじさん」として親しまれたようである。ただ日本を知らない中国系の夫人は話相手もなく、淋しかったようで、時には日本人に間違われて生じた椿事もユーモラスに書かれている。彼の研究はもっばら市立函館図書館の豊富な日露関係史料を利用してなされたが、ここでは特別室を与えられ、毎日机上の花をかえてくれるなど館員たちの心のこもった思いやりについてもふれられている。彼はこの間1度だけ札幌を訪れ北大にも来たようであるが、それ以上のことはこのレポートからは明らかでない。恐らく当時はまだスラブ研究室も活動しておらず、北方文化研究室はなかぱ閉室状態であったので、北大は彼のフルブライト研究生としての形式的な受入機関にすぎなかったものと思われる。

草稿の中にはN.V.BusseのOstrov Sakhalin ; Ekspeditsiia 1853-54 gg. St.Peterburg, 1872.(A4. 190 p.)や吉村道男の『日本とロシア』(東京、1968。近代日本外交史叢書、第1巻)の英訳のタイプ原稿もある。とくに後者はA4サイズ457ページにおよぶ大部のものである。

注目に値いするのは、彼の不慮の死の前に完成し、フロリダ大学出版部から刊行が予定されていた Balance of Intrigue; International Rivalry in Korea and Machuria, 1884-1899の原稿である。これはハワイ大学歴史学部名誉教授Joln A. White氏にあてたと思われるタイプの完全原稿であり、序と結論の外に28章にわかれ、タイプ用紙で本文1268べ一ジ、書誌324ぺ一ジにわたる大著である。1977年に一応そのタイプ原稿を完成したレンセン氏は、これをもっとコンパクトなものとするために学生たちの意見を求めたようである。それに対する卒直な意見を記した学生たちのレポートも残されている。このようにして原稿は約2年の歳月をかけて推敲されたが、それがレンセン氏存命中に刊行されなかったのは返す返すも残念であった。

以上のほか、レンセン・コレクションにはいろいろな主題に関する学生たちのレポートが含まれており、それらはレンセン氏の著作の成り立ちをうかがい知る点からも興味深い。たとえぱ彼は学生たちに、マイクロフィルムで受入れたアメリカ国務省やイギリス外務省の外交文書のなかから、露韓関係、露清関係、日米関係のテーマと時期を与えて件名を付した外交文書のリストを作成させているがこれは学生たちを文書に近づける有効な手段であったぱかりでなく、彼自身の研究を著しく容易にするものであったろう。このようにして19世紀中葉から20世紀初頭の極東地域こ関する外交文書が一目瞭然の形で整理され、タイプ化され、U. S. Diplomatic Despatches to China だけでも厚さ約10センチのファイルとして保存されている。もちろん論文形式のレポートもあり、たとえば "Far Eastern International Relations in the years 1856-1860"というテーマで、19人の学生のレポートが一括されている。これらは熟読の跡を示すアンダーラインや疑問符が付され、さらに彼の関心をひいたらしい箇所は蛍光ペンで塗られ、表紙にはそれぞれの評価、注意事項、批評が記されている。いずれにしても膨大な文献や外交文書を縦横に駆使したレンセン氏の著作にとって、学生たちの貢献も少くなかったのではないかと思われる。

学生たちのレポートのほかに13点の学位諭文もあり、その半数以上は日露・日ソ関係である。学位審査には厳しかったといわれるレンセン氏のことであるから、程度も高いものであると思われる。別刷は157点しかみられないが、レンセン氏自身のものはもとより、多<は欧米諸国における日本研究の論文で貴重なものである。

最後にマイクロフィルムの内容についても簡単に記しておこう。それらは約130リールもあり、この中にはまとまった外交文書のほか、レーニン図書館やシチェドリン図書館などから長い年月をかけて入手した文献のコピーがみられる。しかし部分的なこまぎれのものも少くない。なかには書名の不明なものさえあって整理は困難を極めているが、しかし日本では容易に入手しがたいものもみられるので、できるだけ詳細な目録を作るべく努カしている。

このコレクションにみられるように、レンセン氏は日露関係史や極東史の研究のために長い期間をかけてかなり幅の広い文献のコレクションを形成した、蔵書家であり、また愛書家でもあった。彼の蔵書には「蓮泉蔵書 LENSEN」という蔵書印や蔵書票が貼られているが、このことは彼の日本文化に対する愛着を示すものかもしれない。

このような特色のあるコレクションがスラブ研究センターに受入れられたことを喜ぶとともに、それらがわが国の研究者たちに活用されて日露・日ソ関係の研究に役立つことを期待したい。

昭和54年度主要受入図書

レンセン氏の蔵書票
 
 


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