スラブ・ユーラシア研究センター図書室
Library, Slavic-Eurasian Research Center

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【2010年】

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内戦期、および亡命ロシア人の刊行雑誌 [no.123(2010.11)より]

20 世紀の在外ロシア人が出版した雑誌、および内戦期の雑誌を、断片的ながらいくつか入手しましたので紹介します。

          Воля России : журнал политики и культуры. Прага, 1920-1932.Литературная энциклопедия русского зарубежья 1918-1940. Периодика и литературные центры. (М. : РОССПЭН, 2000) によれば、1920 年創刊、当初はエスエル系の新聞だったが、1922 年9 月以降は、上記の副題を持つ月刊誌となったとのこと。今回センターが入手したのは、その1929 年3 号と1932 年1 - 3 合併号の2 冊です。なお、この雑誌は、その一部が北大附属図書館および東京大学社会科学研究所、同文学部スラヴ文学研究室にも断片的に所蔵されております。Литературные записки : литературно-общественный и критико-библиографический журнал. Петербург, 1922.1 号(1922 年5 月25 日)、2 号( 同年6 月23 日)、3 号( 同年8 月1 日) の3 冊を入手しました。表紙には、「文学者の家」の表示があり、その機関誌と見られます。なお、 Периодическая печать СССР 1917-1949 : библиографический указатель. (М. : Изд-во Всесоюзной кн. палаты, 1958) の第8 巻には、やはりこの3 号しか記載がなく、以上が刊行された全ての号かと思われます。また、国内には、他に所蔵館はない模様です。Рубеж : еженедельный литературно-художественный журнал. Харбин, 1927-1945.192, 193 号(1931 年9 月)、810, 812, 813, 817, 821, 827, 828, 840 号(1944 年2 ~ 12 月)、 843, 850 号(1945 年1 ~ 3 月)の各号を入手しました。絵や写真入りの一般向け雑誌ですが、 1931 年の分と1944 年以後の分を比べると、後者は明らかに紙質が低下し、内容的にも戦時色が強まることが窺えます。国内では、関西大学がまとまった分量を所蔵していますが、今回の入手分とはあまり重複しません。Русское знамя. : орган Патриотической и монархической мысли. Шанхай, 1933-?50 号(1938 年2 月)、51 号(同3 月)、52 号(同4 月)の3 冊を入手しました。国内での他の所蔵館は、確認できていません。Церковная правда : богословский и церковно-общественный заграничный журнал. Берлин, 1913-1914?本誌は隔週刊ですが、その創刊号から翌年7 月初めまでの号を入手しました。ただし、いくつか欠号があります。ロシア正教会が在外正教徒向けに発刊した雑誌で、途中からはドイツ語やポーランド語の標題が付され、ロシアへの輸入は無税である旨が表示されるようになります。しかし、創刊翌年には第一次大戦が始まり、ドイツは敵国となったため、刊行を継続するのは困難となったのではないでしょうか。なお、国内での他の所蔵は未確認です。米国では、ハーヴァード大学がこれを所蔵しますが、最初の年の分だけの模様です。[兎内]


文学研究科旧露文研究室所蔵マイクロ資料の移動

2008 年度、文学研究科の建物が耐震改修工事の対象となった時、旧露文研究室にあったマイクロ・フィルム、フィッシュ類をお預かりすることになり、センター図書室で提供できるよう、必要な手続や整理を進めてきましたが、今年度の前半までにほぼ完了しましたので、お知らせします。

主な内容ですが、マイクロフィッシュは、IDC が製作した、シンボリズムやアクメイズムなど、20 世紀初頭に出版された文学作品が中心ですが、他に『モスクワ電信』(1825-1834 年)などを含みます。また、マイクロフィルムには、『モスクワ報知』の1830 年から1917 年までの分が含まれています。[兎内]


工藤幸雄氏旧蔵資料のその後

センターニュース118 号(2009 年8 月)において、ポーランド文学者故工藤幸雄氏(1925-2008)旧蔵書の受入についてお知らせしましたが、その図書の部分、1513 冊について、この10 月に登録・整理作業が開始されましたので、お知らせします。[兎内]

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サハリン・樺太史関係新収資料          [no. 122 (2010.8) より]

今年に入ってから、サハリン・樺太関係の古書を数点購入しましたので、紹介します。

  1. 樺太哥爾薩古夫市街区画地連絡地図 / 五十嵐武彦編 大泊 : 正木貞雄, 1906 年10 月 -- 1 枚 ; 100 × 67cm. 三色刷り. 表紙のタイトル: 樺太市街区画明細図 其の一 コルサコフ大泊ノ部. 縮尺: 4,000 分の1
  2. 樺太島漁場実測図 / 編集兼発行人丸田徳太郎. 札幌 : 北海道水産新報社, 1904 年4 月. -- 1 軸 ; 37cm. 縮尺: 300,000 分の1. 単色刷 樺太全図(2 色刷り)および漁場明細表を付す.
  3. 亞港市街圖 / 薩哈嗹洲派遣軍司令部.[アレクサンドロフスク?]: 薩哈嗹洲派遣軍司令部, 1920 年10 月, 1921 年6 月. 2 枚. 45 × 61 - 47 × 63cm (折りたたみ23 × 16- 24 × 16cm)単色刷 縮尺 5,000 分の1
  4. 北樺太軍政施設寫真帖.[出版地不明]: 薩哈嗹軍政部, 1925 年5 月印刷. 1 冊 ; 28 × 39cm ( 奥付には、「印刷 陸軍省構内小林又七印刷所」とあることから、東京で製作されたものと思われる。)
  5. 北樺太.[アレクサンドロフスク : 薩哈嗹軍政部], 1922 年2 月印刷. 264p 折り込み付図3 枚「部外秘」

以上の資料は、センター研図書室でご利用いただけます。[兎内]


附属図書館の「再生事業」 

2009 年度、附属図書館の耐震改修および老朽改修を内容とする「再生事業」が4 年計画で開始され、今年度は、本館南側に「新営棟」を建設するとともに、本館西側を大改修するなど、工事が本格化してきました。

工事に伴う利用者への影響は、これまで、夜間開館の停止や騒音の発生等ありましたが、今後、今年度については、西側書庫に収容された大型コレクション類(ベルンシュタイン、ギブソン、中村文庫等を含む)やマイクロ資料、貴重書庫資料の利用停止、および、法学研究科棟と附属図書館との連絡通路の閉鎖が予想されます。

また、来年度についは、予算次第の面がありますが、現在の構想通りに進行すれば、スラブ・コレクションを含む東書庫および、スラブ研から移動した和書や学位論文、製本雑誌等を収容する東南書庫、文学部からの移動資料や新聞バックナンバーを収容する南書庫の資料が、一時外部に移送され、半年以上利用停止となることが予想されています。

また、「再生事業」終了後の資料配置については、現在、附属図書館と協議中です。

つきましては、今後、しばらくの間、附属図書館からのアナウンスに注意くださいますよう、お願いいたします。[兎内]

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外国人の見たロシア          [no. 121 (2010.5) より]

オランダのIDC 社が製作・販売するマイクロフィッシュ版のセットRussia through the Eyes of Foreigners は、16 世紀から20 世紀初頭までに単行書として出版された、西欧人によるロシア紀行・見聞録250 タイトルを収録するもので、マイクロフィッシュ2179 枚から成ります。テキストは全て英語で、一部、アダム・オレアリウス(1603-1671)、アストルフ・ド・キュスチーヌ(1790-1857)など、原著はラテン語やフランス語のものについては、その英訳版を収録しています。原本の大部分は、ロシア国立図書館(サンクト・ペテルブルク、旧サルティコフ・シチェドリン図書館)のRossica 部門の蔵書を撮影したもの。

地域的には、シベリア、極東、中央アジア、ヴォルガ、ウクライナなど地方のものが多く含まれていて、たとえば、特定の地方に関する記述を集めて比較したり、年代順に並べたりしたい場合、助けとなるように思われます。

センターでは、今年の初めにこれを購入し、現在、附属図書館で整理作業中ですが、まもなく完了する見込みです。[兎内]


ロシア=オスマン関係図書 第4期(1857-1914)

オランダのIDC 社では、ここ数年Russian-Ottoman Relations というタイトルで、西欧諸語による、同時代出版物のマイクロフィッシュに収録したセットを4 期に分けて製作を進め、販売を始めていましたが、センターでは、その最終第4 期(1857-1914 年)を購入しましたので、お知らせします。内容明細を見ますと、英・独・仏語の出版物が中心ですが、ロシア語出版物からの翻訳も相当含まれています。1877-1878 年の露土戦争や、ベルリン条約(1878 年)に関するものが非常に目につきます。全263 タイトル、マイクロフィッシュ1048 枚から成り、現在、附属図書館で整理作業が進行中です。[兎内]


ニコライ・ラッセル、および日露戦争捕虜関係史料を見いだす

最近、少しずつではありますが、マイクロ資料の遡及入力を進めております。2000 年のはじめに購入した、社会革命党関係文書のフィルム146 巻も、そうして最近、遡及入力したもののひとつです。

マイクロ資料には、内訳の概要を示すガイドブックが付属し、どこが何の部分かわかるように、各ファイルの要所には目印となるものを写してあるのがふつうですが、実はこの資料にはそういうものがほとんどありません。書店を通じてガイドブックを請求したものの、なしのつぶてで、購入したものの内容をよく把握できないまま過ごしていました。しかし、いつまでもこれでいい筈がありません。原資料を持つオランダの国際社会史研究所のワーキング・ペーパーとしてInventory が出版されていることはわかっていましたので、この際、持っているところから借用させていただこう、とILL を申し込みましたところ、不明本のため提供できないとのことです。

ならばとりあえず、書誌レコードだけでも登録しましょう、参考までにOCLC データを見ると、最終巻にInventory を収録する旨、注記がありました!実際、その通りです。なんのことはない。捜しものは、実はすぐそばにあったのです。

このInventory は、ごく簡略なつくりです。個々の文書のレベルではなく、ファイルのレベルで、簡単な記述が与えられているだけです。おそらく、文書の内容が、たいへん雑多であるため、これ以上詳細なものを作成するのは難しかったのでしょう。

これを通覧していくうちに、1917 年以前の党文書中、日本の項目があることが目にとまりました。ここには14 のファイルが列挙されて、次のように記述されています。

Japan

  • 515-517
    Letters chiefly from Russian soldiers and prisoners of war to N.K. Russel’, to the editor of Japonija i Rossija, to the information bureau for Russian prisoners of war in Japan, to P.I. Bulgakov and others. 1904-1906 and n.d. 3 folders.
  • 518-520
    Letters to Japonija i Rossija, Vostočnaja Nedelja, N.K. Russel’/Sudzilovskij, P.I., and others. 1905-1906. 3 folders.
  • 521-522
    Hectographed copies of Drug, journal of prisoners of war in Japan, editor G. Novikov. 1905. 2 folders.
  • 523
    Lists with names of Russian men, wishing to emigrate from Japan to the USA. 1905. 1 cover.
  • 524
    Correspondence and other documents concerning the affair N. Russel’/P.I. Klark (Nagasaki group). 1906-1907. 1 folder.
  • 525
    Letter from N.K. Sudzilovskij (Russel’). 1907. 1 cover.
  • 526-527
    Issues of Volja, pamphlets and leaflets from the Volja printing house in Nagasaki. 1906-1908 and n.d. 2 folders.
  • 528
    Three letters to N.K. Russel’ and photographs from the belongings of N.K. Russel’. 1905, 1908 and n.d. 1 folder.

フィルムを開けてみますと、ニコライ・ラッセル(1850-1930) と静岡収容所のブルガーコフ大尉とのやりとりなどの書簡類に加えて、浜寺収容所で発行された捕虜向け新聞«Друг»、姫路収容所で発行された«Пленник»、ラッセルが神戸で発行した«В плену»、長崎で発行した «Воля» の85 号から95 号まで、1907 年6 月にラッセルたちを「人民解放救援同盟」から除名することを説明するパンフレットなどが、次々と出てきます。

ニコライ・ラッセルについては、和田春樹氏が1973 年に2 巻本の評伝を書かれた他、檜山真一氏にも論文があります。また、ソ連解体後のロシアでは、1996 年から2001 年にかけて、ロススペン社から4 巻本の社会革命党史料集が出ています。しかし、上記の文書については、まだ利用された形跡がなく、社会革命党のロシア内外諸地域における活動を伝える史料として、そして日本に関してはラッセルやロシア人捕虜の活動を直接に伝える史料として、今後の活用が期待されるように思われます。[兎内]

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ソ連邦共産党中央委員会総会文書の収集状況          [no. 120 (2010.2) より]

本誌113 号(2008 年5 月)で、収集開始をお知らせしました上記資料につき、マイクロフィルム181 リール + マイクロフィッシュ 659 枚中、昨年中までに大部分の購入を済ませたことをお知らせします。残るブレジネフ末期の、1976 ~ 1981 年の文書を収録した16 リールを購入すれば、このセットは完結します。[兎内]


デジタル・コレクション「トルキスタン集成」の購入

2009 年末、スラブ研究センター図書室は「トルキスタン集成Turkestanskii sbornik」のデジタル版を購入した。トルキスタン集成のオリジナルはアリシェル・ナヴァイー名称ウズベキスタン国立図書館稀覯本室に収蔵され、中央アジアの自然環境、歴史、民族誌、経済、行政、地政学その他に関する大規模な文献資料コレクションである。それは全594 巻および索引4 巻から成り、ロシア帝国ならびに西欧諸国で刊行された書籍、雑誌および新聞からの、10000 点を超える切り抜き(書籍全体が採録されている場合も少なくない)で構成される。集成の編纂は初代トルキスタン総督K.P. フォン・カウフマンの指示のもと1868 年にサンクト・ペテルブルグで開始され、1888 年に一時中断されたものの1907 年にタシケントで再開されて帝政ロシア崩壊前夜の1916 年まで続き、ソ連時代の1939 年にも補足がおこなわれた。

日本では既に京都大学地域研究統合情報センターが同集成の複製を所蔵している。京大のヴァージョンが数百枚のCD-ROM で成り立っているのに対し、今回センターで購入した新しいヴァージョンは、一つのハードディスクに、索引も含む全てが収録され、便利になっている。センター図書室は2002 年に収集した「19 世紀末- 20 世紀初頭の中央アジア新聞集成」(本誌89 号(2002.5)参照)、『トルキスタン地方新聞』(Turkistan wilayatining gazeti.1870-1917. Tashkent)ならびに『トルキスタン報知』(Туркестанские ведомости.1870-1917. Tashkent)(本誌98 号(2004.7)参照)、およびトルキスタン総督府に隣接するステップ総督府が発行した『ステップ地方新聞』(Dala walayatining gazeti.1888-1902. Omsk)(いずれもマイクロフィルム)、などを所蔵しており、今回トルキスタン集成を購入したことにより、中央アジア近代史に関する基幹史料をほぼ網羅的に所蔵することになったといえる。

便利なコレクションである。日本で所蔵されていないロシア帝政期の書籍、雑誌、新聞などに容易にアクセスできるばかりでなく、現地の図書館では破損などによって実質上閲覧不可能な記事が、集成に綺麗なかたちで保存されている場合も少なくない。トルキスタン総督府の東部、天山山脈の遊牧民族クルグズの動向を中心に中央アジア近代史を研究する筆者も、これまでトルキスタン集成に幾度となく助けられた経験を持つ。なお、この資料の包括的な位置付けについては京都大学の帯谷知可「Turkestanskii Sbornik について」『中央アジアにおける共属意識とイスラムに関する歴史的研究』(1999 ~ 2001 年度科学研究費補助金基盤研究 A(2) 研究成果報告書 研究代表者: 新免康、2002.3)67-88 頁と、『地域研究資料としての『トルキスタン集成』に関する総合的書誌研究』(2005 ~ 2007 年度科学研究費補助金基盤研究(C)研究成果報告書 研究代表者: 帯谷知可、2008.3)を参照されたい。

便利なだけではない、興味のつきないコレクションである。目録を手繰るだけでもいろいろな想像をかきたてられる。カウフマンは新しい植民地トルキスタンを帝国のなかで認知させるために、同地域に関する学知の集積を企図したが、この集成が、征服地域に関して様々な情報を収集し、支配地域として構築していこうとする征服者ロシア人の眼差しを反映したものであることは言うまでもない。このため、公文書館に保管されるロシア語史料のみならず、テュルク語を中心とする現地語で執筆された新聞、刊行物ならびに写本史料と併せて利用することが求められる。この意味で集成は、これ自体で完結する存在ではないが、ロシア側の視角から捉えた中央アジア世界を示す基本資料として活用され、さらに現地資料を併せて利用することにより、中央ユーラシア地域研究とロシア帝国研究が有機的に接合されることが期待される。これは、中央ユーラシア近代史のみならず、周辺諸帝国との比較を念頭に置いたロシア帝国史研究の深化にとっても大きな意味を持つだろう。トルキスタン集成は研究者の挑戦を待っている。

[秋山徹(スラブ社会文化論専修博士後期課程)]

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