帝政ロシア地誌コレクション

帝政ロシア地誌コレクション

Geographical descriptions and maps of Imperial Russia

[2001年度 大型コレクション]  
帝政ロシアとその首都St.Petersburgに関する英・独・仏語で書かれた稀覯書・地図帳のコレクション。本コレクションは16世紀中葉から19世紀初頭にかけて製作・出版されたもので、当時のロシア諸地域の地理・地誌、社会、文化、風俗などに関する極めて稀少な資料群である。

形態 オリジナル
数量 15点
言語 複数
購入年度 2001
貸出 不可
複写 可(一部不可)

資料一覧


*資料紹介(『楡蔭』No.113,p.13-15より)

帝政ロシア地誌コレクションについて

スラブ研究センター講師 兎内勇津流

 帝政ロシア地誌コレクションは、18世紀後半に作成されたロシア各地方、および主要都市の地図、16世紀初頭に神聖ローマ皇帝使節としてロシアを訪問したジギスムント・フォン・ヘルベルシュテイン(1486-1566)のロシア見聞記、および18世紀後半から19世紀初頭にかけて、主に西欧で出版されたロシア風俗・事情を伝える書物など、あわせて15点の資料から成る。これら全てを書架にならべても、わずか2段を塞ぐに過ぎないが、いずれも、希少性が高く、かつ資料的価値の高いものであり、附属図書館の蔵書の一角を占めるにふさわしく、また今後のロシア研究に大いに裨益するものと期待される。ここでは、そのいくつかをかいつまんで紹介したい。

最初に取り上げるのは、主として18世紀70年代から80年代にかけて製作されたロシア各地の地図集である。これははじめから地図帳として刊行されたのではなく、収集者が地図帳として1冊に綴じ合わせたもので、全部で49図を含む。図の製作者や大きさは一定しないが、おおむね見開きで縦50cm横70cmの大きさに1県を収めている。ロシア科学アカデミーのヤコブ・フリードリヒ・シュミット(?-1786)やイヴァン・トルスコット(1721-1786)によって作成されたものが多い。その収録範囲は広く、東シベリアから露領アメリカ、中央アジア、カフカス、フィンランド湾、バルト海沿岸地方、クリミア、モルダビア、ワラキアの図も収める。また、ペテルブルク、モスクワ、アストラハン等の都市地図、アンナ・イワノブナ帝(在位1730-1740)の戴冠を祝う花火の図までが含まれる。

附属図書館は、すでに、1745年刊行のロシア科学アカデミーによる地図帳を所蔵し、また19世紀初頭に軍の地図部が作成したロシア西部図、1737年刊のダンヴィル製作の中国地図帳等も所蔵する。われわれは、この地図帳を、以上の資料と比較することにより、 18世紀ロシアにおける地図製作の発展を、具体的に辿ることができることになった。

次に紹介したいのは、ジギスムント・フォン・ヘルベルシュテインのロシア見聞記である。彼は神聖ローマ皇帝の外交使節として、 1517年と1526年の2度にわたってモスクワに派遣され、モスクワ大公ワシーリー3世(在位1505-1533年)との交渉に臨んだ。帰国後の1549年にウィーンにおいてラテン語版のロシア見聞記Rerum Moscoviticarum commentariiが出版されると、大変な評判になり、各地でラテン語版やドイツ語版が次々と版を重ね、現在に至るまで16世紀ロシア史の基本史料として活用されている。英語訳やロシア語訳も存在するが、残念ながら、邦訳はまだない。

今回購入したのは、そのラテン語第2版(バーゼル, 1551年刊)およびドイツ語第4版(フランクフルト, 1576年刊)であるが、いずれも状態は良好である。

次に、2種類のロシア諸民族図集について述べる。これは、ロシア科学アカデミーの探検の成果をもとにして、『開かれるロシア、あるいはロシア帝国に居住するすべての民族の衣裳集』と題して12分冊で1774-1776年に刊行された図版を原画とする。この図版は、銅版に手彩色が施された美しいもので、ヨーロッパの読者にエキゾチックな香りが評価されたのであろう。探検隊のメンバーであるヨハン・ゴットリープ・ゲオルギ(1729-1802)の著書『ロシア国内に居住するすべての民族の生活上の儀式、衣服、住居、その他に関する記述』に使用され、広く普及した。

今回購入した資料は、当初の原画を1冊に綴じ合わせたものと、その後ロンドンで1803年に英仏語による解説付で出版されたものである。後者は、英国人の画家が、新たに版を起したもので、原作と図柄は類似するものの、比較すると、背景が省略された上、西欧人の趣向にあわせるかたちで、美しさ、親しみやすさが強められていることがわかる。

▼未婚のヤクート娘(ロシア諸民族衣裳集ロシア版)(左)イギリス版同図(右)

また、今回のコレクションをチェックしていると、ル・クレルクのロシア史(パリ, 1783-1794年刊)の付録図集に、この図集の図柄が引用されていることに気付いた。引用は全95図中30図以上にのぼるが、これもこの図集の影響力の大きさを証拠だてよう。

なお、岩田行雄氏のご教示によれば、国内におけるゲオルギの民族誌の所蔵状況としては、文化女子大学図書館がフランス語版を所蔵し、さらにドイツ語版から図版だけを集めて1冊に改装したものを所蔵する。また、明治大学図書館がロシア語版改訂第2版を所蔵するとのことである。この他、スラブ研究センター図書室は、2種類のロシア語版のマイクロフィルムを所蔵する。

最後に、ユリウス・ハインリッヒ・クラプロート(1783-1835)のカフカス紀行を取り上げる。彼は、著名な化学者の子としてベルリンに生まれた。少年期より中国語に熱中し、1805年からは、中国への使節団に随行してキャフタまで赴き、蒙古語、満州語に習熟し、多数の資料を収集した。カフカスに赴いたのは、それから帰還後まもない1807年から1809年にかけてのことであった。今回購入したのは、1812-1814年にドイツ語で出版されたその報告書と、その付録『カフカス諸語』である。

その後クラプロートはロシアを離れ、1815年以後はパリに住み、驚異的な語学力を駆使してシベリア、中国研究からエジプト学に至るまでの多彩な業績を挙げた。その中には、林子平の地理書『三国通覧図説』(1786年刊)の仏訳という仕事も含まれる。

附属図書館は、すでに彼の著作5点を所蔵しているが、今回、カフカス紀行が加わったことにより、ヨーロッパにおける東洋学の源流にあるその業績は、われわれにとって一層近しいものとなった。

以上、主なものを駆け足で紹介したが、国内随一の水準にあると思われる北大附属図書館所蔵のロシア・北方資料に、これら通常では入手し難いコレクションが加わったことの意義は大きく、今後、研究・教育の両面で活用されることを期待したい。