ワイマール期ドイツ保守革命

ワイマール期ドイツ保守革命

Die konservative Revolution in Deutschland

[1987年度 大型コレクション]
本コレクションは,ジャーナリストであり,また近代ドイツ,フランスの政治・歴史学者でもあったアルミン・モーラー氏が生涯の大半を費やして収集した,ワイマール共和国時代の思想運動「保守革命」に関する文献集である。

形態 オリジナル
数量 5,300冊
言語 ドイツ語
購入年度 1987
貸出
複写 可(一部不可)

資料一覧(一部未完)


*資料紹介(『楡蔭』No.75,p.10-11より)

<ワイマール期ドイツ保守革命-アルミン・モーラー文庫->について

法学部教授 今井弘道

 ごく最近,大野達司助手と協力して,ワイマール期の有名な国家学者であるヘルマン・ヘラーの『ビュルガーとブルジョア』というタイトルをもつ論文を翻訳する機会があった。

このはなはだ興味深い内容をもつ論文については,間もなく出る筈の『北大法学論集39巻3号』を御参看願いたいが,大よその内容は,一般に「市民」として観念される概念を「ビュルガー」と「ブルジョア」に区別することを通して,ワイマール共和国の前途に不吉な影を投げかけている時代状況を批判的に検討しようとするものだ,このようにいっておいてよいであろう。つまり,ヘラーは,ここで,政治的自己決定・精神的-道徳的自己決定の主体たる「ビュルガー」が死滅し,私的領域内で自己完結する自己利害の内に自閉的・排他的に閉じこもろうとする「ブルショア」が跋扈しはじめてくることによって,民主主義的政治体制それ自体の主体的基盤が崩落しつつあることを剔抉しようとしているのである。この意味において,それは,卜ーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』に具象化されているような事態を概念的に捉えようとする内容をもっている, といっておくことができるかも知れない。

 このヘラーの論文は,通常<市民社会>と<国家>という対概念を通して問題にされることを,主体の側に即して問題にしようとする観点を提示しようとするものだという意味において興味深いものであったし,また近年の我が国における政治的・法的基盤の動向を<市民的政治文化>の可能性というタームによって理解しようとする方向性に対しても,中々に示唆深い内容を与えるものであるということができる。その意味では,このような観点は,もう少しジックリと掘り下げてみる必要のあるテーマだといわなければならないであろう。

 ところで,このようなテーマに関わる時,ただ単に例えば筆者の専攻する法哲学・法思想史というような専門領域内に自閉的・排他的に閉じこもっていることは許されなくなる。文学や大衆文化の動向それ自体が,法哲学的・法思想史的議論の直接的な素材として登場してきてしまうからである。このことは,無論具体的な時代の問題状況のあり方につぶさに触れるためには,不可欠なことであり,一般的には誰でもが了解しているところなのだが,とりわけ外国語を通じて外国の文献に即して研究を進めねばならない者たちにとっては,「行うに難い」はなはだやっかいな問題なのである,日常的にそれぞれの時代の文学作品に触れ,しかもそれをその国の言葉で読んで,専門的問題領域に共通する,あるいはそこにおける問題状況を深部において支えている精神的アトモスフェアを肌で実感するなどということは,余程の覚悟があっても,そう簡単にできることではない。そもそも,ある時代の法思想史を研究する者にとって,その時代の大衆文化まで含めた精神史的動向に通暁するためには,何を,どれだけ読んでいなければならないのか,こういったことを知ることすら,容易ではないのである。そしてこのようなやっかいさは,翻訳の作業それ自体にも常につきまとうものである。

 このようなやっかいさは,例えばその国の研究者自身が狭い専門領域に必らずしも属するわけではないどのような本をどれだけ読んだのかを知ることによって大きく軽減されうる。この意味において,思想史の研究対象たる人物の蔵書目録を見ることが我々にとってどれだけの救いとなることか。このことはあらためていうまでもないところである。

 さて,今回,わが北大図書館には,単行本約5,200冊,バック・ナンバー約500冊を擁する「アルミン・モーラー(Armin Mohler)氏蔵書」が入ることとなった。このモーラーなる人物については,筆者はあまり多くを知るところではない。しかし,『ドイツにおける保守革命1918-1932(Die konservative Revolution in Deutschland 1918 bis 1932 : Grundriss ihrer Weltanschauungen』(1950)--これはバーゼル大学に1949年に提出された氏の博士論文であり,現在でもワイマール共和国における反民主主義思想に関する基本的文献としての位置を保ち続けている。『ワイマール共和国』(亀嶋庸一訳,みすず書房,1970)の著者ピーター・ゲイの文献解題においては,「ドイツ右翼思想の経済的背景に関する非常に包括的な研究」とされている--の著作をもつ1920年生まれのスイス人ジャーナリストであり--例えば,ある時期 Die Welt紙のコラムニストとして執筆していた--,またインスブルック大学で政治学の非常勤講師を勤めていたというような経歴をももっている人のようである(現在はミュンヘンで病気療養中)。エルンスト・ユンガーの秘書を勤めたこともあるという(1949-1952)。このようにジャーナリストとしての感覚と学者としての資質をあわせもち,<ワイマール期における保守革命>というようなテーマに取り組んだ著作家が,その作業を行うにあたって用いた蔵書を手に取って見ることができるということは,先に述べたような事情との関係においては,誠に有難いことだという他ない。テーマ自体が狭い意味での専門領域にとどまることを許さぬもの,知的・精神的世界と感性的世界の交錯する地点をその奥底にまで踏みこむことを要求するものであるだけに,その感はひとしおのものがあるということができる。これによって我々は,ワイマール期の思想史研究の懐を深くする可能性を,またその義務を,与えられたわけである。その可能性あるいは義務が,現代のわが国の文化状況・政治状況を見る目をより一層研ぎ澄ませたものにする可能性および義務と表裏一体をなすものであることについても,多くをいう必要はない。
 既に図書館で所蔵されているものとの重複などということもありえよう。だが,そのようなことは問題とすべきではない。かような経歴と問題関心をもつ人物が自ら所蔵していた書物が眼前に並べられているのを眺めるだけでも,そして時に散見される欄外の書き込みを見るだけでも,様々の想像力がかき立てられる。そのこと自体が既に,本来は留学でもしない限り得ることのできない貴重な経験であり,鮮烈な学問的刺激でもある。そこには,一つの知的・精神的世界が具現されているからである。