スラブ・ユーラシア研究センター図書室
Library, Slavic-Eurasian Research Center

library-news-2004

【2004年】
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附属図書館との統合実施          [no. 99 (2004.10) より]

  センターニュース97号(2004.5)でお知らせした附属図書館との統合は、2004年7月1日より実施されました。[兎内]


最近の購入資料より
 昨年から本年にかけてスラブ研究センター図書室が購入したマイクロ資料より、数点を紹介いたします。
ひとつめは、"дело"(事業)という、ペテルブルクで1866年から1888年にかけて刊行された月刊誌です。この雑誌は、ドミートリー・ピーサレフ(1840-1868)、セルゲイ・ステプニャーク=クラフチンスキー(1851-1895)、ワシーリー・ベルヴィ=フレロフスキー(1829- 1918)、ピョートル・ラヴロフ(1823-1900)など多くのナロードニキ系の論者が寄稿する、影響力のある雑誌でした。なお、この資料は、東京外国語大学附属図書館が1988年度大型コレクションとして収集した「ロシアナロードニキ研究史料集成」にも含まれていて、同館でも利用することが出来るものです。
  2番目に挙げるのは"Сын отечества"(祖国の子)と題する、1812年からペテルブルクで刊行された雑誌です。ニコライ・グレチ(1787-1867)を編集者として出発したこの雑誌は、内外の政治情勢をはじめとして、歴史・地理に関する論文も多く掲載され、さらにはロシア語による文学・評論の発表の場としても重要なものでした。今回は、その創刊から1837年までの分についてマイクロフィッシュ版を購入しました。
3番目に挙げるのは、同じくペテルブルク出版されたウクライナ知識人の雑誌"Основа"(基礎)です。ワシル・ビロゼルスキー(1825-1899)を編集者とし1861年に創刊された本誌は、わずか2年足らずで廃刊に追い込まれましたが、パンテレイモン・クリシ(1819-1897)、ミコラ・コストマーロフ(1817-1885)などが参画し、文学、言語、教育、歴史を論じて、ウクライナ民族運動の画期となったものです。
最後に紹介するのは、1848年のドイツ三月革命期に開催されたフランクフルト国民議会の議事録Stenografische Bericht über die Verhandlungen der deutschen Constituirenden National-versammlung zu Frankfurt am Main.です。全部で78シートに収められたこの史料は、民族運動の揺籃期にあった中欧における政治運動の基本的な記録と言えましょう。[兎内]

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«Туркестанские ведомости»(『トルキスタン報知』)の購入          [no. 98 (2004.7) より] 

 このたびスラブ研究センター図書室は帝政ロシアの新聞 «Туркестанские ведомости»(以下『トルキスタン報知』と表記)のマイクロフィルム版を購入した。『トルキスタン報知』は1870年4月28日の第1号にはじまり、1917年12月27日までタシケントで刊行されたトルキスタン総督府の官報である。刊行頻度は1870年から1903年までは日曜と木曜の週2回、1904年には日曜、水曜、金曜の週3回、1905年から1907年にかけては日曜、火曜、水曜、金曜の週4回、1908年以降は祝日の翌日を除く毎日刊行された。1917年の二月革命による帝政崩壊を契機に、同年3月19日号より同新聞の発行主体は臨時政府トルキスタン執行委員会に移された。今回収集されたマイクロフィルム収録範囲は、1894年2月6日号(通巻第1247号)から1911年12月31日号(通巻第4173号)までである。なお、1915年1月1日号(通巻5026号)から1917年12月27日号までについては、2002年に収集された「19世紀末–20世紀初頭の中央アジア新聞集成」に収録され、同じくマイクロフィルムで読むことができる(本誌89号(2002.5)参照)。
センター図書室は、トルキスタン総督府に隣接するステップ総督府が発行した『ステップ地方新聞』(«Dala walayatïnïng gazetí».1888–1902. Омск)のマイクロフィルムを併せて所蔵している。『ステップ地方新聞』が同一紙面上にアラビア文字カザフ語版とロシア語版とを併記するに対し、『トルキスタン報知』の紙面は全てロシア語であり、同官報はもっぱら総督府管内のロシア人を主な購読層として想定していたと判断できる。しかしこれと並行するかたちで発行された 『トルキスタン地方新聞』(«Turkistan wilayatning gazeti».1870–1917. Tashkent)はアラビア文字ウズベク語(初期はカザフ語でも書かれた)を使用しており、同じくセンター図書室で閲覧可能(マイクロフィルム)である。これら各紙のより詳細な比較検討は今後の課題と考える。
『トルキスタン報知』の紙面は大きく「公式欄 официальный отдел」と「非公式欄 неофициальный отдел」に分かれる。公式欄は総督府内部における命令や通達、役職人事、中央官庁の命令などを記載する。非公式欄ではその当時総督府内で持ち上がっていた政治、社会に関する様々な議論が紹介され、同時代のトルキスタン総督府官界の様相を垣間見ることができる。それは例えば鉄道の敷設、綿花産業、現地民の教育問題、植民問題など多岐にわたるものである。また植民地現地民の慣習や習俗などの民族誌、自然環境などが紹介される。タシケントを中心とする定住民地域に関するものが多いが、天山山脈をはじめとする山間部の遊牧民地域についても少なからぬ情報を提供してくれる。我々はまさにロシア人が征服地域に関して様々な情報を収集し、支配地域として構築していこうとする過程に立ち会うのである。トピックは総督府管内にばかり限定されるものではない。非公式欄では、続けてロシア帝国内の各種情報が報告され、さらに「外国情報」として世界各地の情報が外国の新聞を抜粋する形で紹介されている。特に英露間のグレート・ゲームを反映してかイラン、アフガニスタン、インド、中国の情勢はその中でも大きな比重を占める。まさに「帝国の時代」のなかのトルキスタンが読者の前に姿を現すにちがいない。

[スラブ社会文化論専修博士後期課程1年 秋山徹]



ハプスブルク帝国統計年鑑の購入
 スラブ研究センター図書室では、資料の収集の中心はロシアにありつつも、それと同時に少なからぬ注意を東ヨーロッパに払ってきたことをその蔵書構成は教えてくれる。特に統計年鑑や官報、辞典、参考図書などには高い順位が与えられ、優先的に収集されてきたわけである。ところが、ハプスブルク帝国については、統計年鑑も議会議事録も所蔵しない。これは、ハプスブルク帝国が、その解体以前は欧州の大国であったため、センターあるいは北大では所蔵せずとも、国内的には東大や一橋大などいくつかの図書館がすでに所蔵するということによると思われる。センターが乏しい懐から多額の購入費をそうしたものに振り向けるよりは、センターとして別に収集すべきものがある、という考え方である。
しかし国内にあるとは言っても、札幌の住人にとってはそう手軽に利用できるものではなく、東欧を専門に勉強しようという大学院生たちがぼちぼち札幌に集まりつつあるこのごろ、時機を見て収集しておくことが適当と考えてきた。
今回入手したものの範囲は、Tafeln zur Statistik der Österreichischen Monarchie.(1842年版–1855/56/57年版)、Statistische Jahrbuch der Österreichisch–Ungarischen Monarchie. (1863年版–1881年版)、および Österreichisches statistisches Handbuch. (Jahrg. 1–43,1882年版–1916/1917年版)である。
なお、この資料の購入に際しては、科学研究費補助金「東欧・中央ユーラシアの近代とネイション」(研究代表:林忠行)が使用された。[兎内]


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図書室と附属図書館との業務統合          [no. 97 (2004.5) より]

 スラブ研究センター図書室は、ここ数年、資料収蔵スペースのやりくりに苦慮してきました。センターがこれまでに収集した資料は今や16万点を超え、年々6,000から10,000点が新規に加わってきました。この全体をセンター内で管理することは単に物理的な意味でも到底不可能であり、図書や製本雑誌の大部分を附属図書館に管理換した上で、他の資料とは別置して利用者の便宜を図るというのが従来の方式でした。しかし、1990年代後半から附属図書館書庫の狭隘化が深刻化したこと、および、これを契機として附属図書館側より、書庫スペースの占有根拠について強い疑問が提示され、書庫にセンターの収集した資料を排架する前提として、業務統合の実施をわれわれに迫ってきたのは2001年秋のことでした。
これを受けて翌2002年度に、附属図書館副館長を委員長とする「スラブ研究センター図書業務統合計画委員会」が発足し、どのような方法で統合をおこなうか検討が開始され、約2年を経た2004年3月25日の第4回委員会において、図書業務統合の大要が「申し合わせ」および「実施要領」の形にまとめられ、了承されるに至りました。その後、この案件は4月13日のセンター協議員会において承認され、近日開催が予定されている附属図書館の図書館委員会で承認されれば、いよいよ正式実施に向けて準備が整うこととなります。
今回の統合案の要点は、次のようにまとめられるでしょう。

    • スラブ研究センター図書室業務のうち、資料の発注、受入、目録等の業務は附属図書館に移管される。それによって、統合以後にセンターが収集した資料は、はじめから附属図書館の資料となる。資料費は、センターから附属図書館への流用によってまかなわれる。(これまでに附属図書館と図書業務を統合した他部局と同じ)
    • センターに配置されている図書系事務職員は、附属図書館に配置換される。(センターの当該職員は1名しかいないので、センターには図書系職員がいなくなる)移管業務の遂行のために必要な人員の不足分については、資料費に基づく計算式により算出し、非常勤職員の人件費という形でセンターが負担する。
    • スラブ研究センター図書室は、スラブ研究資料室と改称し、従来通りサービスポイントとして維持される。
    • センターの収集した資料のうち欧文図書、露文図書および学位論文は、スラブ・コレクションとして、他と混排しない。
    • 附属図書館書庫の狭隘状態により、当面、本来附属図書館へ配置すべき資料であっても、センター内に暫定排架できる。

9年前の赴任以来、附属図書館との関係には、心理的になかなか微妙なものがあることを感じてきたのですが、今回の業務統合はそれを正常化し、将来的に双方が普通に付き合っていくためのステップとして必要なものと感じています。
早ければ6月にも予想される統合の実施に向けて、以上の統合の枠組みを前提とした業務の再編成を進めているところです。[兎内]


ロシア国家軍事史文書館所蔵日露戦争関係史料その他
 スラブ研究センターはこのほど、2003年度に開始された21世紀COEプロジェクトの経費により、Primary Source Media 社の販売する The Russo-Japanese War, 1904-1905 from the Military Science Archive を購入しました。これは、ロシア国家軍事文書館( Российский государственный военно-исторический архив, 略称 РГВИА)の所蔵する日露戦争関係ファイル( Фонд 846. опись 16. )の文書を選択の上、マイクロフィルム全170巻に収めたものです。
日露戦争の終結後、ロシア軍事省はワシーリー・グルコ少将(1864-1937)を長とするチームを編成し公式戦史の編纂を命じた。こうして生まれたのが、1910年に9巻16分冊で刊行された Русско-японская война 1904-1905 гг. Работа Военно-исторической коммиссии по описанию Русско-японской войны, СПб.: А.Ф. Маркс, 1910. ですが、今回購入したセットは、上記戦史の編纂のためにロシア帝国軍の戦史部が収集した史料約11,000点がもとになっており、ちょうど100年前に戦われたこの戦争に関するロシア側の原史料集成として重要性は大きいと言えます。
ついでながら、センターではこの他、同じロシア国家軍事史文書館の所蔵する内戦関係文書についても購入しました。赤軍関係文書 The papers of the Red Army, 1918-1923 が全76リール、白軍関係文書 The papers of the White Army, 1918-1921 が全71リールで、発売元は同じく Primary Source Media 社です。[兎内]

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ボリス・ニコラエフスキー・コレクションを補充          [no. 96 (2004.1) より]
 1993年から94年度にかけてスラブ研究センターは、ロシア革命・社会主義運動に関する重要史料である米国スタンフォードのフーヴァー研究所文書館が所蔵するボリス・ニコラエフスキー・コレクションのマイクロフィルムのUnit 1から11までを購入している(センターニュースno. 58(1994.7)を参照)。
しかし、その後、Unit 12以下が製作されたとの情報に接していたが、残念ながら長いこと追加補充ができずにいた。2003年度において、センターの21世紀COEプロジェクトが採択されたことから、このほどUnit 12-14を補充することができたので、お知らせしたい。Unit 12は41リール、Unit 13は35リール、Unit 14は41リールの計117リールから成る。まだ残りのUnitがあるが、遠からず完結させることができるものと期待している。[兎内]


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