スラブ・ユーラシア研究センター図書室
Library, Slavic-Eurasian Research Center

library-news-2002

【2002年】

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花房義質日記の購入          [no. 91 (2002.10) より]

 センター図書室は、最近、駐露公使としてペテルブルクに在勤していた花房義質(1842-1917)の日記を購入しましたのでご報告します。
花房義質は、岡山藩士花房端連の長男として岡山に生まれました。緒方洪庵の塾に学び、1867年には長崎から洋行の旅に出て、欧州、米国を経て翌年帰国。1870年から外国官御用掛として出仕。1872年、ペルー国船マリア・ルース号に乗船の清国苦力の虐待問題につき、仲介裁判のための代理公使としてペテルブルクに派遣され、訴訟の後は、日露国境画定交渉のため派遣された榎本武揚全権公使を補佐しました。その後、朝鮮に駐在し、壬午事変(1882年)においては、包囲された公使館を脱出して帰国、済物浦条約により、事変による損害の補償とともに、京城への駐兵などを認めさせました。
翌1883年より1886年までの3年間にわたり、駐露公使としてペテルブルクに滞在しました。
その後は農商務省次官、帝室会計審査局長、宮内次官、枢密顧問官、日本赤十字社社長などを歴任しました。
今回購入した日記は、官用常用日記簿3冊から成ります。すなわち、ペテルブルクに到着した1883年5月に始まり、1885年末に終わっています。主にペン書きですが、一部、鉛筆書きで、その日の出来事が簡潔に、時折出費額を伴って記されています。自署などは見られませんが、駿河台大学の広瀬順皓氏に見ていただいたところでは、日記に描かれる交際ぶりは公使にふさわしいとのことであります。
花房義質関係文書としては、これまで東京都立大学付属図書館および外務省外交史料館所蔵のもの、および宮内庁書陵部所蔵のものが知られています。
駐露公使時代の花房の活動は、その伝記『
子爵花房義質君事略』(黒瀬義門編, 1913年刊)によれば、皇帝の即位式に出席し、条約改正問題に関与したという程度で、あとは淡々としたものだったようです。むしろ、当時の外交官の日常を窺うための材料ということになるのかも知れません。[兎内]

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ジョージ・シェヴェロフ氏の逝去          [no. 90 (2002.7) より]

 スラブ言語学・文献学、とりわけウクライナ語学に重要な足跡を残した言語学者、ジョージ Y. シェヴェロフ氏は、2002 年4 月 12 日、ニューヨーク市内の病院にて逝去されました。 93 歳でした。 氏は、学界のみならず、在米亡命ウクライナ人社会にあっても、非常に大きな存在であったと察せられ、心からお悔やみを申し上げたいと思います。
既に本誌の誌上にてお知らせしてきましたように (
73 号 [1998 年春] 等を参照)、センターは氏との協定により 1997 年度から蔵書の購入を開始し、現在、その途上にあります。 伝えられるところでは、氏は、重病の中、残った蔵書のことをたいへん気にされていたとのことですが、ラトガース大学のミロスラヴァ・ズナエンコ教授と、相続人セオドア・コスチューク氏の迅速な手配によって、その後まもなく蔵書は日本に向けて発送され、6 月には東京に到着しました。 たいへん有り難いことであります。
今回の到着分によって、センターのシェヴェロフ・コレクションは近く完結を迎えることになるでしょう。[兎内]
  

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附属図書館内資料配置の変更          [no. 89 (2002.5) より]
 センター図書室の収集した資料は、参考図書、マイクロ資料等を除いて、附属図書館に管理換えされ、利用者に提供されている。そうした管理換え済み資料は、大部分が附属図書館の西書庫 2 階にまとまって配置されてきた。しかし、附属図書館において 2001 年度にこの場所に電動集密書架が設置されることになり、センターから管理換えされた資料は、2002 年 1 月をもって東書庫 1 階の集密書架に移動したことをお知らせしたい。
なお、新規の電動書架設置工事は、すでに完了しているが、センターから管理換えされた資料は、当分新しい所在にとどまることとなりそうである。[兎内]


革命前ロシアの県報知 (続)

 スラブ研究センター図書室では、米国 Norman Ross 社の製作する革命前ロシアの県報知 Губернские ведомости 一部を、1997 年度および 2000 年度に続いて購入することができた。今回新たに収蔵されたのは、ミンスク県 (1838-1917 年、122 リール) およびワルシャワ県 (1867-1915 年、38 リール) である。
センター図書室の所蔵する革命前ロシアの県報知は、これ以外は次の 4 県である。
アクモリンスク州 (1871-1919 年、42 リール)、カザン県 (1838-1917 年、71 リール)、キエフ県 (1838-1917 年、136 リール)、およびプリアムーリエ (1894-1917 年、48 リール)。[兎内]


19 世紀末—20 世紀初頭の中央アジア新聞集成

 上記と同じく、米国 Norman Ross 社の製作するこのマイクロフィルムのセットは、中央アジアを中心に、沿ボルガ地方やカフカースなどで発行された新聞を集めている。この中には、一部ロシア語のものもあるが、大多数はトルコ系の言語をアラビア文字によって表記したものであり、帝政ロシア末期からソビエト政権初期における、とりわけ非ロシア人地域の事情や知識人のありかたを読み取る上での基本史料と言えるだろう。
センター図書室では、このうち、既収分などを除いた 410 リールを昨年度末に購入した。なお、このための支払い総額は、361 万円余であり、1 リールあたり 9,000 円以下にとどまった。これは、まとまった分量を購入するためディスカウントを得られたことによる他、直接輸入することにより代理店手数料が不要であったこと、最近の円安傾向にかかわらず、財務省の定める支出官事務規程により、この 3 月までの校費の外国送金においては、米ドルの換算率が 1 USD = ¥107 と設定されていたこと、商品としてでなく学術研究資料として輸入するため、日本側と積み出し側の両方において消費税を免除されること (通常は日本の通関時に消費税を徴収される) が寄与している。
聞くところでは、このセットは既に国内の 2,3 の図書館においても収蔵され、デジタル化を実施したところもあるようである (例えば小松久男 「イスラーム地域研究の試み: アラビア文字資料のデジタル画像化」 (
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/IAS/Japanese/library/online%20library/komatsu03.html#komatsu3top) を参照)。しかし、ロシア、旧ソ連の地方出版物の充実に力を入れているセンターとしては、この資料の整備は必至のことであったと考えている。[兎内]

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基本図書整備計画の廃止          [no. 88 (2002.1) より]
 センターでは、1981年度以来、特別設備費の交付を受けて、四次にわたる基本図書整備計画を推進し、図書館資料の充実に努力してきました。最初の頃と比べると、その金額は大きく削減され、現在では年間700万円程度となっているのですが、校費に次ぐ重要な財源として、最近では特に中央アジアやウクライナ、シベリア、極東などの地域の資料整備促進に充てられてきました。しかし、特別設備費の交付は2001年度で打切られ、以後、そのような費目自体がなくなるとのことで、1998年度から2002年度までということで進行中であった第四次基本図書整備計画は、残念ながら1年早く完了することとなりました。なお、今年度は、最終年度分の前倒しとして、700万円の追加配当を受け、これによって昨年度に収集を開始したRare Ukrainian Serial Publications の残り部分を全て収集することができました。
今後の資料整備を進めていくためには、新しい制度下での工夫が必定であります。[兎内]


附属図書館内資料の移動

 北海道大学附属図書館では、近年、資料収蔵能力が限界に近づいていましたが、取り敢えず2001年度において、西書庫2階部分を電動集密化することとなりました。この工事により、センターから管理換した資料は、西書庫2階より、東書庫1階の集密書架に移転することとなりましたので、北大附属図書館に来館された際にはご注意願います。 [兎内]


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