James R. Gibson コレクションについて
 
             スラブ研究センター講師 兎内 勇津流
  

  北海道大学附属図書館は、さきごろ、カナダの歴史地理学者でヨーク大学名誉教授James R.Gibsonの収集したその蔵書を購入した。先日、整理準備中のこのコレクションを見せていただいたが、棚を巡って本を手にとりながら、このコレクションの推薦に多少関わった者として、喜ばしく思うのと同時にいくばくかの安堵を覚えたところである。
  北海道大学には、これまで、附属図書館北方資料室および1995年まで文学部にあった北方文化施設を中心に、北アジアに関する資料が相当量蓄積されてきた。また、ロシア史については、スラブ研究センターおよび文学部を中心に蔵書が構築されており、また附属図書館が関連のいくつかの重要な資料群を収蔵することによって、文献的サポートの面では、相対的に言って、全国に誇りうる高度な研究環境が実現しているといえよう。
  このように、既存のコレクションの充実度が高い場合、同じ主題のコレクションを収集する、それも最近まで現役として活動してきた研究者の蔵書を収集した場合、大部分は既存のコレクションと重複してしまうのが通常である。
  ところが、ギブソン・コレクションに関しては、もちろんある程度の重複資料の発生は避けられないが、それは意外と少ない割合にとどまる。むしろ、既存のコレクションに欠けた重要な文献を補い、これまでに蓄積されてきた北海道大学の蔵書の特色をさらに際立たせる高い効果があると思われるのである。
  このコレクションは総計2,544点からなり、次の8つの部分に分かれている。
  1. ロシア領アメリカ(337点)
  2. シベリア史(652点)
  3. ロシアの人類学および考古学(127点)
  4. ロシア史(452点)
  5. ロシアの歴史地理(304点)
  6. 現代のソ連邦/CIS/ロシア地理(533点)
  7. ソ連邦/CIS/ロシア地図(84点)
  8. 追加資料(55点)
 

17世紀前半にたびたびロシアを訪れたオランダ人イサーク・マッサの手記のロシア語訳。ギブソン・コレクションは16〜17世紀ロシア史を研究する上で重要な、外国人の記録類を豊富に含む。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  このうち、第1に注目されるのは、ロシア領アメリカの部分である。 ロシアはかつてアラスカを領有していたが、1867年にこれを720万ドルで合衆国に売却したことは、よく知られている。シベリアを征服して17世紀半ばには太平洋岸までを領土に収めたロシアは、18世紀になるとアリューシャン列島伝いにアラスカとアメリカ西海岸に進出し、主に毛皮の採取と取引きに従事した。


ロシア側が1840年代に作成したカリフォールニアの地図(部分)。
サンフランシスコ湾が描かれている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  19世紀に入ると、当時、合衆国からの視角ではフロンティアの先にあったアメリカ西海岸には、ロシア、英国、スペインおよび合衆国が競合して進出した。この中でロシアは、主産業の毛皮の採取が立ち行かなくなるなど、植民地経営が困難に陥り、1840年代にはカリフォルニアなどを放棄し、さらには、北米からの撤退を余儀なくされたのだった。ロシア領アメリカの歴史は、アメリカ史とロシア史の両面において重要なポイントであるのだが、これを研究するための資料収集は、全国的にみて、名古屋大学情報・言語合同図書室および九州大学附属図書館にある程度の蓄積があるものの、十分とは思われなかった。北海道大学は、従来より、附属図書館北方資料室を中心に、関連資料の収集を行ってきたが、今回、ギブソン・コレクションが加わったことで、この部分を画期的に強化できたように思われる。
  それ以外の、シベリア及びロシアについての資料群である2から7までの部分は、分量的には1よりはるかに多い。
  全体として、この部分は非常に系統的に構成されており、ロシア史のパースペクティブにアラスカとシベリアを正確に位置づけようとするギブソン教授の目の付け所を教えてくれる。ここ半世紀間に、この地域に関して出版された主だった史料集、紀行・探検記、地理・歴史研究書は、ことごとくこの中に見出すことができると言えそうな充実ぶりなのである。シベリア以外のロシア、ソビエト連邦の諸地域に関する文献も目に付く。その範囲はシベリアに隣接する中央アジア、ウラル、沿ボルガばかりでなく、カフカスやウクライナ、ノブゴロト、バルト沿岸にまでおよんでいる。また、時間的には、古代・中世ロシアから現在までをカバーしている。しかも、それぞれの時代に関する基本文献をよく押さえていて、それぞれの分野を勉強する人ならまず読まなくてはならないものが高いレベルで揃っているという点、なかなか得難いものである。
  ロシア、あるいはシベリアに関して、北海道大学は、スラブ研究センター、附属図書館北方資料室、文学部などに、すでに相当量の蔵書を有している。ギブソン・コレクションは、これとある程度重複することは避けられないが、その一方で、既存のコレクションの重要な欠落部分を埋めてくれるであろう。特に、歴史以外の分野に関して、その効果は高いと考えられる。
 ギブソン・コレクションは決して稀覯本を選りすぐったというものではなく、リプリント版も多い。しかし、出版後すでに半世紀以上が経過し、現在では入手困難と思われるものをいくつも見出すことができる。
  たとえば、18世紀ロシアのアカデミー会員ヨハン・ゴットリープ・ゲオルギ(1729-1802)による「ロシア帝国に居住する全民族、およびその儀礼、信仰、習慣、住居、衣裳その他の特色に関する記述Opisanie vsekh v rossiiskom gosudarstve obitaiushchikh narodov, takzhe ikh zhiteiskikh obriadov, ver, obyknovenii, zhilishch, odezhd i prochikh dostopamiatnostei.」 3 v. (Sankt-Petersburg,1776年)は、ロシアの民族史に関する基本史料であるが、国内にこれを所蔵する図書館を他に知らない。北海道大学附属図書館は、このドイツ語版のマイクロフィッシュを所蔵するが、このたびロシア語オリジナル版を所蔵することができたわけである。
  他に、北大未収の18世紀の出版物として、イワン・レピョーヒン(1740-1802)の旅行記(Dnevnyia zapiski puteshestviia doktora i ad"iunkta Ivana Lepekhina po raznym provintsiiam rossiiskago gosudarstva 1768 i 1769 godu.(2nd ed. Sankt-Peterburg, 1795年)およびProdolzhenie dnevnykh zapisok puteshestviia akademika i meditsiny doktora Ivana Lepekhina po raznym provintsiiam rossiiskago gosudarstva 1770 godu. (1st ed. Sankt-Petersburg, 1772年))があげられる。レピョーヒンは、ストラスブールで医学を学んだ植物学者で、帰国後は、ロシア科学アカデミーに所属し、1771年にアカデミー会員となった。この間、1768-72年にかけて同僚のパラスの組織する探検隊に参加し、あるいは独自に探検隊を組織し、ロシア各地を訪れた。彼の報告は、博物誌的な面だけでなく、民族誌的にも価値が高いものとされている。
  ピョートル・シメオン・パラス(1741-1811)の探検記Puteshestvie po raznym provintsiiam Rossiiskoi Imperii. の第1巻-第3巻(Sankt-Peterburg, 1786-1809年)もまた、ギブソン・コレクション中に見出される。パラスは、ロシア科学アカデミーを代表する植物学者として知られ、西村三郎氏による評伝がある(『未知の生物を求めて』(平凡社自然叢書 ; 1)1987年)。国立情報学研究所の総合目録による限り、フランス語訳が一橋大学附属図書館と北大附属図書館にあるが、この版を所蔵する館は他にない。
  このような稀覯本の例を、まだまだ続けることができるが、わたしの考えでは、ギブソン・コレクションの価値の最大の部分は、少し違うところにある。
  ロシア領アメリカをはじめ、シベリアやロシアの歴史や地理に関心を持つ人がこのコレクションに接した時、こんな本があるのか、あるいはこんな本が見られるのか、というさまざまな発見があるに違いない。このコレクションは、研究上不可欠な史料の宝庫であるとともに、多くの人にそうした知的刺激を呼び起こす場として、長く役立つものと確信している。
  ギブソン教授は、1981年から翌年にかけて、外国人研究員としてスラブ研究センターに滞在されたことがあり、北大と、札幌にたくさんのよい思い出をお持ちである。人のつながりは、貴重な無形の財産であるが、今回、その一つが、蔵書の終の住処を引き受けるという形に結実したことを喜びたい。


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