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著者のアファナシエフの演奏を学生時代に聴いたことがある。山田一雄指揮の東京都交響楽団定期演奏会でシューマンの「ピアノ協奏曲」だった。なぜそんな昔のことを覚えているかというと、その時初めて聴いたアファナシエフの演奏が非常に“奇妙”だったからである。「違和感」というのでもない、「斬新」というのでもない、ただ、「こんなふうにシューマンも弾けるんだ」という感覚を抱いたことを今でも覚えている。その後、彼のプロフィールなどを知る機会もあったが、この本を読んでみて昔聴いた演奏とどこか重なり合うような感覚を思い出すことができた。この本は、エッセイというには論理的でありすぎ、音楽論というには自由奔放すぎ、あるいは揺れ動きあるいは勝手に飛び回るアファナシエフの、それこそ“奇妙な”筆致について行けなくなるかもしれない。しかし、読み続けていくとそこにはロシア音楽の伝統の中で育ち亡命者として異文化の中で母語ではない言語で生きるアファナシエフが、音楽という創造現場の中にのみある種の、生の実感を見出していることが分かってくると思う。他のピアニストや現代の音楽状況に関する彼の諧謔的な意見は賛否両論を呼び起こすだろうけれども、芸術を創造する行為に伴う様々な思いをいつか是非彼の実際の演奏会で感得してほしい。
なお、9月には彼の新しい著書(対談)として『ピアニストは語る』(講談社現代新書)も刊行されたことを付言しておく。 |