推薦者: 小林 和也
所属: 高等教育推進機構オープンエデュケーションセンター
身分: 職員
研究分野: 哲学
北大図書館に眠る財宝
タイトル(書名):
四季・ユートピアノ (DVD)
著者:
佐々木昭一郎
出版者:
NHKサービスセンター
出版年:
1986
ISBN:
北大所蔵:
推薦コメント
佐々木昭一郎という偉大なる映像作家の作品は、テレビドラマであったということが災いし、ほとんどソフト化されていない状況です。しかしなんと我らが北大図書館には『四季・ユートピアノ』のVHSがあるではありませんか。 映画は映像、イメージです。だからこの映画について抽象された物語の部分を伝えても何の意味もありません。家族は主人公榮子を置いて皆死んでしまいます。彼女は貧困の中で育ちますが、ピアノの調律師となります。多くの出会いがあり訣れがあります。でも映画は少しも暗くありません。彼女は「音の日記」をつけています。最初に聞こえた音の記憶から映画は始まります(その後ろで主演の中尾幸世さんの歌が聞こえます。「夢は/風の中に聞こえる/あの音…風よ/うたえよ/Aの音から」)。彼女にとりすべては音なのです。だから映像も説明的ではなく、音楽のように進行します。 音楽・メロディというものは、以前の一音の消滅を含意しており、次々と生成する一音に耳を傾け、そしてそれがまた消失することを受け入れることで生じており、リフレインすること=繰り返すことで音楽となります。映像もまた点滅するからこそ進行していきます(例えば喪われた家族を思い出す時、それはマーラーの交響曲第四番第一楽章の一節と共に想起され、溶け込んでいる)。そういう音楽的な世界の把握。映像はピアノの音のように淡々としています。が、それに胸を締め付けられ、何度も繰り返し聴こう=見ようとしてしまう、そういう映画が本作です(例えばネットを検索すれば、わずかな放送回数にもかかわらず本作の目撃談、等身大の美しい感想がいくつも見つかります)。 調律師となった彼女の現在を彩るのはベートーベンのピアノ・ソナタ(OP49-No.1 第二楽章)で、彼女は音楽の悦びの中に居続けています。そして映画は冒頭へ音楽のように回帰し、Aの音が鳴り響く。 こういう偉大な芸術作品が図書館にあるのです。皆さん見てください(存在することが、世界という音楽へ参入であり、その永遠のメロディの一音であることが存在者で在るということなのだとすれば、だから私たちは訣れを悲しむということを、二重に悲しむ必要はなく、ただ悲しめばいい。悲しいメロディのように。反対に悦びは繰り返される存在の累乗、あの時も、あの時も、このメロディが鳴り響いていた、そこにいつも溶け込めば、すべてが在り、在ったし、これからも在ることがわかるだろう)。
※推薦者のプロフィールは当時のものです。