| |
鈴木孝夫と田中克彦のお二人は、特に日本語に於ける漢字の使用を巡ってそれぞれの著書の中でまったく反対の立場を表明してきた。この本ではそのあたりを巡って激論が交わされるのかと思いきや、お二人とも妙におとなしくなってしまっていて(よく言えば紳士的なのかもしれないが)日頃の舌鋒の鋭さはどこへやら、落としどころをうまく見つけて話が進んでしまっている。これはちょっと読者の期待を裏切りすぎるんじゃないのかなぁ、と思う。日本語教師の僕としては、日本語教育に好意的な鈴木氏と、(今の)日本語教育に批判的な田中氏の論争も期待したのだが、それはタイトルが「言語学」だからこちらの思い入れが強すぎたかもしれない。
お二人は、後半でソシュールとチョムスキーを論じつつ、言語学から歴史を閉め出してしまったことがどれほど大きな問題であったかを熱を込めて語り、それとは異なる立場に立つコセリウの言語学を読み解いていく。この対談を通して日本と世界の言語学の流れとそれらが問題としてきたことがわかりやすく見えてくるのはこの本の魅力である。と同時に、「言語学が輝いていた時代」という過去形での語り方が真に現代にも当てはまるのかどうか、読者それぞれが考える契機を与えてくれる好著だと思いここに推薦する次第である。
鈴木氏と田中氏の、それぞれの見解を個別に理解したい人は、鈴木孝夫『日本語教のすすめ』(新潮新書)と田中克彦『漢字が日本語をほろぼす』(角川SSC新書)を読まれることをお勧めする。
※図書館注1: 鈴木孝夫『日本語教のすすめ』(新潮新書)の所蔵状況は「北大所蔵2」をご覧ください。
※図書館注2: 田中克彦『漢字が日本語をほろぼす』(角川SSC新書)は現在購入手配中です。 |