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この推薦文を書いている今日の昼間、書店に行ったら故石川文康先生訳『純粋理性批判(上下)』(筑摩書房)が棚に並んでいるのを見てびっくりした。石川先生は昨年逝去されたし、『純粋理性批判』を翻訳していらっしゃったことも知らなかった。同時に、どうしてこうも日本の哲学研究者(あるいは出版社?)は『純粋理性批判』の翻訳を出したがるのかなぁ、とも思ってしまった。この「本は脳を育てる」に文学研究科の千葉先生が熊野純彦先生の翻訳を推薦していらっしゃるが、それ以外にも多くの翻訳があり、訳書の多さという点では哲学書に限定せずとも『純粋理性批判』、ハイデガー『存在と時間』、マルクス『資本論』、そしてサン=テグジュペリ『星の王子様』は傑出しているだろう。
余談から入ってしまったが、この坂部恵氏の『理性の不安』は、一見堅固着実に思考の歩みを進めてきたかのように見えるカントが、よく知られているヒュームとルソーの影響の他に、批判前期にスウェーデンボリの著作との関わりを通して深刻な内面的葛藤あるいは自己分裂状態に陥り、そこからどのような思索を生みだしたかを透徹した文献の読み解きによって明らかにするものである。坂部氏の、カントの内面の葛藤に迫ろうとする筆致は読み進めるうちに読者をも思索の流れに巻きこむような(但し、読みにくいわけではない)強さに満ちている。この本を読むことによって、カントの哲学する姿を身近に感じると同時に、坂部氏が別のところで問題にしていた日本語で哲学するという営みのあり方を追体験することができるだろう。
余談に戻って終わることにするが、冒頭に述べた石川文康先生だけでなく、坂部氏、原佑、量義治、門脇卓爾、そして北大名誉教授だった宇都宮芳明と、僕らの世代が教えを受けたり本を読んだりした代表的なカント研究者はほとんど鬼籍に入られた。岩波書店の『カント全集』も完結した今、もう新しい『純粋理性批判』の翻訳は当分出ないかもしれない。次に出るのは中島義道訳だろうか?! |