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最近、老人(高齢者)の犯罪がメディアで報道されることが多くなったように思う。老人が犯罪をするからメディアがニュースネタとして飛びつくのか、本当に老人の犯罪が増えているのかは慎重に考える必要があるだろう。しかし、少なくともこれまでの社会の(あるいはメディアの)あり方として、若者の犯罪や不作法には寛容ではなかった一方で老人の犯罪や不作法(特に後者)が大目に見られてきた面はある。このページを読んでいる人の中にも、町中での老人の振る舞いに「年寄りだから何でも許されるってわけじゃねーよ!」と思ったことがある人がそこそこいるに違いない(実は、私はしょっちゅうある)。
この本は、そうした老人の、所謂「問題行動」を取り上げながらも、決してそれらを叩くことで読者の溜飲を下げさせようというものではなく、むしろ現代の急激な社会の変化の中で「老い」を「老い」として認めることが如何に難しくなっているか、その一種の反動としての老人たちの苦しみがどのようなものであるかを明らかにしようとしたものである。考察は必ずしも十全であるとは思わないし、「暴走老人」が暴走してしまう原因を単純化しすぎているきらいはあるが、これを批判的に読み通すことで、現在の、そしてこれからの社会で老いることの意味、よりはっきり言えば難しさを考える契機になると思う。
今は若い皆さんにも必ず「老い」はやってくる。そのことを今から考えるのも無駄ではないだろう。
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