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アメリカでは最近哲学専攻の学生が増えていると云います(ニューヨークタイムズ2008年4月6日の記事)。ただし、歴史上の哲学者のあれこれに興味があるのではなく、将来の見通しが立たない現代社会にあっては、思索で頭脳を鍛え論争の術を身につける必要があるという認識にたってのようです。哲学がそういう処世術にも通ずる生きた学問だと意識されていることに驚きました。
同時にアメリカ大統領予備選挙の記事を追っていると、度を越したような泥試合のなかにも、時として当事者に正気がもどり、その晴れ間をぬって歴史を貫いてきたギリシャ以来の精神が現前すると思われることがあります。政治家は清濁併せ呑むといわれますが、かの地では、その清のなかには哲学の担い手としての自負もまた込められているらしいことに感心しました。
この反哲学入門は人に勧められて柄にもなく読んでみました。(哲学はソクラテスによって始められニーチェによって解体され始めた、ありとしあらゆるものに対するある種の認識の仕方だそうです。つまり、森羅万象を配下に置く超自然的原理とそのもとに特別な地位をしめる人間という立場とを解き明かす学問のようです。)哲学と反哲学の輪郭がおぼろにみえた気になって、ひとにも勧めたくなりました。 |