本は脳を育てる ~北大教職員による新入生への推薦図書~ 

推薦者 :  岸本晶孝      所属 :  理学研究科      身分 :       研究分野 : 
占領下日本と憲法
タイトル(書名) 敗北を抱きしめて(上下)
著者 ジョン・ダワー
出版者 岩波書店
出版年 2001,2004
ISBN 4000244027,4000244035
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推薦コメント

 この国の憲法を「押し付けられたものだから」(を理由のひとつとして)改正しようとする動きがあります。近隣諸国との諍いをも厭わず戦死者の霊を慰めることに熱心な人たちですから、敗戦後の生活の塗炭の苦しみに加えて意に染まぬ憲法を押し付けられるという精神的苦痛を味わった当時の庶民への同情に突き動かされて発議したのかと思っていましたら、そうでもなさそうです。いかに歴史を学ばないひとでも、当時の人々のほとんどが解放感に包まれてこれを歓迎したことは知っているでしょう。それとも、その始祖たる時の首相吉田茂が天皇裕仁のまえで「臣茂」と名乗ることでしか民主主義への侮蔑とそれに浮かれるひとへの愚弄をあらわすことができなかった無念をいま晴らそうというのでしょうか。
 それにもかかわらず、こういう理由付けが一定の共感を呼びうるということは、あの茫漠たる日本人という概念を背景に「愛国心」を喚起しているからでしょう。この列島に住む、当時の庶民の喜怒哀楽も今の我々の日常茶飯事もそのほかの時代の人々の営みをもただただ塗り潰して、ひとつの情念の流れに取り込んでしまう、厄介な民族という概念です。ひとたび「何々人」というと、そこに属する個々人の輪郭を曖昧にし、そこに属さない人々の個性など吹き飛ばしてしまう魔力を秘めています。
 この国の執政官の目標とするところは「美しい国づくり」だそうです。以前のいかにも即物的標語(たとえば日本列島改造論)とくらべると、いささか含蓄をにおわせる空疎な標語は、神社参拝に政治的意味を持たせる手法といい、敗戦まえまでの為政者の意識と響きあうものがあります。
 Dower氏は、この有名な本で、マッカーサー率いる連合軍による日本占領を扱っています。絶対的権力のまえに右往左往したのは市井の人だけに限りません。天皇も政府もまたそうだったのです。そういうなかであたふたとこの国の今に至る骨格と性格が決まったといえそうです(つまり、天皇の処遇と憲法、戦時体制そのままの官僚支配、権威への無批判な服従など)。氏は、先の段落に記した歴史的事項を含めて、その経緯を過不足なく記述しています。そして「九条改正」がアメリカの「押し付け」であることも。もちろん東京裁判と戦争のもたらしたさまざまな集団的異常さにも。
 氏はまた「人種」にも着目しています。この戦争とその後において、米日関係が「親子」「師弟」「主従」の関係を逸脱しそうになると噴出する人種的偏見の底流のことです。この根深さが侮蔑や憎悪や悔恨のほかに時には寛大さをも齎すところに、ほとんど悲観的にもさせられますが、こういう現実を直視し理解することで、将来の和解が引き出せるのかもしれません。
 若い学生の方には、敗戦という歴史的事実とともに現代にいたるまでその底辺にわだかまる非合理的な感情(への著者の洞察)を知ってもらいたくこの本を推薦します。(一部、氏のJapan in war and peace, 1993 も参考にしました。その中の平成改元時に著された文章にある懸念は昨今の日本の政治的状況をいちいち予言しているように思えました。)

※推薦者のプロフィールは当時のものです。

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