創基125周年を迎えた北大附属図書館
                               
原 暉之( 附属図書館長)
北大125年の歴史とともに
   知の創出、知の伝播と並んで、知の集積は大学の基本機能の一つである。そして大学で知の集積機能を中心的に担ってい
る組織が図書館である。当然、大学はそのはじめから図書館と不可分の関係にあった。
  北大の前身、札幌農学校が1876年8月に開校式を挙行したとき、その講堂には蔵書数6,149冊の「書籍室」が置かれていた。
独立の建物としては同年12月に書籍庫が新築された。これが北大附属図書館の起源とされる。その後、閲覧室が増築され、書
籍館と呼ばれた。まだ、図書館という用語が定着していなかった時代であった。1891年から97年まで新渡戸稲造が書籍館主任
(監守)をつとめた。北大附属図書館の初代館長である。1907年、農学校の大学昇格にともなって東北帝国大学農科大学図書館
となり、18年北海道帝国大学図書館を経て、47年現在の名称となった。 
  図書館(ビブリオテク)の古典的な姿は文字どおり本(ビブリオ)の置き場(テク)なのだから、図書館の歴史は、まずもって建物と
資料の歴史である。札幌農学校が北1〜2条から現在のキャンパスに移転したのは1903年で、その前年北8条に竣工した白堊の
美しい建物が2代目の図書館となった(この建物は現存し、近年登録有形文化財の指定をうけたことは記憶に新しい)。この建物
は増築もされたが、農学校の大学昇格とそれにつづく総合大学化のなかで、戦前期すでに利用環境が悪化していた。戦後に文
系学部が発足するなど、学部・学科の拡充と学生数の急増にともなって、いっそうの狭隘化と機能不全が目立つようになる。そ
の間、1937年に図書館の新築計画が大学本部に提出されたが、実現にいたらず(これについては後述)、新築までに60年余の長
い歳月が流れた。
  北大の創基80周年から90周年にかけての10年間(1956〜66年)は校舎の新築・改築があいついだ時期に当たる。そのなか
で、図書館の新営構想がようやく実現し、65年現在地に3代目の図書館が竣工した。現在の施設はこの本館(85年増築)と69年
に新築した北分館(旧教養分館、77年増築、95年改称)からなる。
  北大の歴史とともに歩んできた附属図書館は膨大な学術資料を集積してきた。あとでふれるが創基50周年(1926年)の時点
で図書館の蔵書は14万冊に過ぎず、創基90周年(1966年)の時点でも図書館に46.6万冊、全学106万冊であった。現在の蔵書
は、本館120万冊、北分館26万冊、これを含めて全学の蔵書は334万冊を数える(2000年3月末現在)。
  主要なコレクションとしては、札幌農学校旧蔵書からなる「札幌農学校文庫」、北海道をはじめ、樺太、千島列島を含む北ユ
ーラシア・北太平洋地域の関係資料をからなる「北方資料」、内村鑑三文庫・新渡戸稲造文庫など本学草創期の卒業生のもの
を主とする個人コレクション12件、文部省から予算配当をうけた大型コレクション22件などがあり、いずれもその資料的価値の高
さが広く学内外に知られている。
  蔵書構築の歴史は、それ自体大学の進化の歴史の一部として語ることも可能であろう。たとえば本館の所蔵する「北方資
料」は、1937年に全学的な研究施設として設置された「北方文化研究室」の収集資料がその基礎をなし、同研究室が66年「文学
部附属北方文化研究施設」に改組されたさいにその資料を引き継ぎ、札幌農学校以来蓄積してきた資料を合体して67年「北方
資料室」を開設した。またそれ以後も、北海道史研究の第一人者、高倉新一郎の旧蔵書や、スラブ研究センターから管理替えさ
れた日露関係史を中心とするジョージ・レンセン文庫などを加えて、現在「北方資料」と総称される膨大かつ貴重な一大コレクシ
ョンを形成しているのである。
 
図書館は大学教育の心臓である
  しかし、附属図書館125年の歴史はたんに施設と蔵書の量的・質的拡充にとどまらない。一般に図書館は建物と資料と人の3
つによって構成されるというが、過去の遺産のなかでも人的ファクターは大きいのである。附属図書館は先人の図書館理念、ラ
イブラリアンシップの質の高さや、情報スキルといったものも継承してきた。
  過去から受け継いでいる先人の図書館理念について、ここでは「図書館は大学教育の心臓である」というメッセージを第5代・
高岡熊雄館長が遺した言葉として紹介しておきたい。高岡の館長在任は1905年から33年まで実に28年間にわたったが、この言
葉は26年5月14日の『北海タイムス』に掲載されている。折しも北大の創基50周年記念式典が挙行され、クラーク博士の胸像が
除幕されたその日のことである。
  「図書館は大学教育の心臓である」、もし大学における研究の成績如何を知ろうとするなら、まず図書館の施設如何を見れば
難なく想像できる。されば欧米の大学では何をおいても研究者の人事と図書館の設備とに最大の注意を払っているのである。
我が北海道帝国大学図書館の蔵書数は約14万冊、これは20年前、わずか1万数千冊の蔵書しかなかったことを思えば大いな
る発展をなしたともいえるが、ハーバードやオクスフォードなど欧米有数の大学とは到底比較すべくもない。農・医・工の3学部か
らなる総合大学としては蔵書数の少なきを嘆かざるをえない。図書の貧弱はひとり北大だけではないが、これは我が国家および
社会が大学教育の真の使命を未だ充分に諒解しないからであると非難する者があっても恐らくは弁明の言葉がなかろう、高岡
館長はこのように述べて、図書館充実に対する国と社会の協力、後援を訴えたのであった。
  高岡館長はもう一つ興味深いことを述べている。北大図書館の分類は米国式の「デシマルシステム」によっているが、本邦に
はこれを採用している館はあまりない、というのである。ちなみに、北大がデューイの十進分類法を採用したのは1900年に遡る。
合理的な図書の分類法を先駆的に採用して以来、全学のスタンダードとしての1世紀の伝統は誇るに足るものといえよう。
  「図書館は大学教育の心臓である」というメッセージは、戦後の節目に際しても再確認された。新館の竣工がなった時点で館
長に就任した第14代・今村成和館長は、北大附属図書館の近代化を図るにはその組織と機能の分析を避けて通ることはでき
ないとして、1966年「北海道附属図書館報告書」を起稿し、組織における中央館と部局図書室の関係についても、機能における
学習図書館機能、研究図書館機能、総合図書館機能、保存図書館機能という4側面からの現状分析についても、重要な指針を
与えたが、その「はしがき」のなかで、今日の大学図書館はもはや単なる「書物の貯蔵庫」であってはならず、「大学の心臓であ
り学術情報組織の中枢」でなければならない、と述べている点が注意を引くのである。
  北大附属図書館が、その創基50周年と90周年の節目に「大学教育の心臓」とか「大学の心臓」という言葉によってその基本
機能を表現したことは今日改めて想起されてよい。 
 
改革と変化のなかで
 
 はからずも私は1997年4月第24代館長に指名された。以来2001年3月にかけての4年間は、北大の創基120周年を機にあわた
だしく大学改革が進行した時期に当たる。同時に、図書館をめぐる環境にも急激な変化が押し寄せた時期に当たっていた。 
  1996年10月に挙行された北大の創基120周年記念式典式辞のなかで、丹保憲仁総長は、現在北大は大きな改革を進めて
いるが、その中心をなす変革の構造は3つに要約できるとして、第1に、組織の重心を大学院に移し、研究者・大学院生が創造
的な研究を進める発信型の研究大学を創り、世界と競い地域社会の核となること、第2に、基礎を重視した学部4年一貫教育を
システマティックにつくり上げること、第3に、大学と社会の連携、地域の人々や産業への貢献が大切であることを強調していた。
  一方、同年7月には学術審議会建議「大学図書館における電子図書館的機能の充実・強化について」の形で大学図書館の
電子化を方向づける指針が打ち出されていた。
  振り返れば、過去4年間は附属図書館として「学部一貫教育」、「大学院重点化」、「社会に開かれた大学づくり」などを柱とす
る北大の大学改革にどのように参画するか、その一方でインターネットの急速な普及にみられる環境変化のなかで要請される
図書館の電子化をどのように実現するか、という重なり合う諸課題の解決を迫られつづけた4年間であった。
  着任早々に考えたのは、図書館を活性化しなくては、ということである(拙稿「図書館の活性化のために」『楡蔭』No. 98)。不勉
強で、「図書館は大学教育の心臓である」という言葉を当時は知らなかった。しかし、ある種の沈滞ムードが漂っているようにみ
えた図書館を活性化しなければ、教育現場とのあいだの血流が滞り、このままでは図書館の地盤沈下も避けられないという危
機感があったのは事実である。最優先の処理を要したのは、北分館の存続と機能充実であった(拙稿「北分館の機能充実のた
めに」『楡蔭』No. 99、吉野悦郎[北分館長]「北分館の将来像」同誌同号)。幸い学内外の支援をえて、まず北分館を情報環境図
書館へグレードアップする道が開かれ(吉野悦郎「北分館が情報環境図書館へとリニューアル」『楡蔭』No. 103)、これを追って本
む館についても、創基125周年記念事業の一環としての歴史的資料の整備に絡めた施設整備が認められた(拙稿「館蔵歴史的
資料の整備に寄せて」『楡蔭』No. 104)。このほか、関係者の努力を結集して1999年3月に図書館情報システムを更新したこと
と、2000年度から本館及び北分館における学習図書館機能を充実させるための財源として新規に学生用図書費が措置された
ことが図書館の活性化に大きな弾みとなった。
  「電子図書館化」については、北大附属図書館の自己点検からはじめることにした(拙稿「電子図書館的機能の強化のため
に」『HINES World』No. 42)。前途遼遠であるが、目録所在情報データベース構築のための遡及入力事業では、全学の総蔵書数
に対するオンライン検索可能冊数の比率は2001年3月時点で75%に達する見込みで、これは全国の大規模大学のなかではトッ
プクラスの実績として評価されているし、貴重資料・特殊コレクションの電子化については1993年から科学研究費補助金(研究
成果公開促進費)の採択により開始されたマルチメディア対応「北方資料」データベース事業は第1期〜第3期計画が終了し、全
国的に類例のない貴重な電子情報を附属図書館ホームページを通じて広く学内外に公開している。当面する大きな課題の一つ
は、急速な普及をみせている電子ジャーナル(学術審議会の96年建議では片言隻句も言及されていなかった)の導入である。そ
の導入は全学の図書館サービスの方向性としては確実であるが、その価格体系、サービス形態等の将来像はなお不透明であ
り、全学的な予算ポリシーやネットワーク上の問題等、図書館業務の枠をこえた対処が要求されるかもしれない。
 
読書は奨励されねばならない
  大学改革と環境変化のなかで、附属図書館は教育・研究プログラムと図書館サービスとのいっそう緊密な連携を図ることを
今日とくに重視している。次に挙げるのはその重点項目である。
(1) シラバス掲載図書の網羅的収集と提供 
  各授業科目のシラバスに担当教官が推薦図書として記載したものを網羅的に購入し、本館・北分館に配架して学生の利用 
に供する(2000年度から実施中)。
(2) シラバス・データベースと目録所在データベースとの連携強化
  シラバス・データベースに記載された推薦図書から図書館の目録所在データベースを参照し、所蔵の有無、配架場所などを
確認できるようにする。また、未購入の場合は担当教官からネットワークを介して即座に購入申し込みができるようにする(2001
年度開講に向けて実施中)。
(3) 博士学位論文の目録データベース化
  新制大学発足以来の北大の博士学位論文(約1万1千件)をデータベース化し、学内LAN、インターネットを介して随時検索で
きるよう学内外に発信する(2001年3月から実施中)。
(4) 情報リテラシー教育への支援
  全学共通教育の「一般教育演習」科目のなかで、担当教官の希望により「情報探索入門」の時間を設け、図書館職員が担当
教官に協力して初歩的な文献検索法の実習指導を行う(2001年度前期から実施予定)。
(5) 学術雑誌の重複購入の調整と電子
 
   ジャーナルの導入による全学共同利用の推進 ネットワークを介して学内のどこからでも24時間利用できる電子ジャーナル
を導入することにより、重複購入を調整して経費を節減するだけでなく、学術情報をより迅速かつ効率的に入手・提供するシステ
ムをつくる(図書館委員会「資料整備に関する懇話会」で検討中)。
  これらのうち、とくに(1)と(2)は2000年度新規に学生用図書費が措置されたことと、教務委員会のイニシアティブにより2001年
度から学部専門教育科目を含む全学的なシラバスの電子的公開が開始されることをうけて館内に生まれた新たなアイデアの
実現である。
  シラバス掲載推薦図書の網羅的購入・配架に関連して、最後に「読書は奨励されねばならない」というメッセージを記して結
びとしたい。
  読書の奨めなど今さら、との向きもあろう。しかし北大がこのことで苦い経験をしているのも事実なのである。図書館関係者も
ほとんど知らないこの事実とは、以下の通りである。
  1937年3月9日の『北海タイムス』に、「北大に生まれ出る豪華な図書館/読書より研究へ・・・・を目標に」という見出しが踊っ
ている。この記事によると、1903年以来使われてきた図書館にかわって新図書館が「今度百万円の予算で新設される事となり」
本部に設計図が提出された。驚くべきはつぎの一節だ。
  「新図書館の特徴はたゞ読書するといふ過去のやうなものではなく図書館は即ち研究室なりとの建前から1階、2階、3階に各
教授の為に28の研究室を設けた事である」
  「読書」と「研究」が対置され、「ただ読書する」というのはもはや時代遅れであって、これからは「研究」が図書館の主要機能
だというのである。すでにふれたように、戦前37年の図書館新築計画は日の目を見ずに終わった。しかし、この計画の基本理念
はその後の反省に立って捨て去られたとはいえないように思われる。ここでは検討を省略するが、当時の計画は戦中・戦後を生
き残って現在の本館を建てる際の設計に下敷きとされた形跡すらある。それはとにかくとして、私たちは「読書より研究」なる言
説を、現代とは無縁の、特殊な時代の産物として嗤えるだろうか、という問題は残る。
  2001年度からシラバス電子化によって判明したことの一つに、各授業科目の推薦図書欄に著者・書名等のデータを入力した
担当教官の数が想像を大きく下回ったという事実がある。もとより、入力の煩瑣の解消など、図書館側にも改善点があろう。しか
し、担当教官の工夫次第によっては、従来以上に教室での教育と図書館を利用する自学自習がより緊密な形で結びつけられる
のではないか、と思われてならない。少なくとも一定の財源は確保されており、図書館による教育支援システムの枠組みはすで
に出来上がっているのである。
 館長を退任するにあたり、いささかの感慨をこめて、北大附属図書館の過去と現在の一端を記すとともに、125年の歴史の遺
産から何を受け継ぐことができるかという問題を提起して、これからの図書館を担う人びとに伝えておきたいと思う。
                          (スラブ研究センター教授)
 

次の記事へ移る
目次へ戻る
ホームページへ戻る