館蔵歴史的資料の整備に寄せて
附属図書館長 原暉之
 
 はじめに
 このたび、はからずも附属図書館長に再任されました。2001年3月までの任期は、文字どおり世紀の変わり目です。大学全体が大きな転換を迎えようとする変革期に当たり、もとより微力ではありますが、引きつづき附属図書館の活性化に尽力する所存ですので、よろしくご支援、ご協力をお願いします。
 さて、どこの大学にも共通してみられることですが、いま大学図書館がかかえている課題は、ひと昔前と比べものにならないくらい多様化し、高度化してきたように思われます。そうした趨勢に拍車をかけているのが、マルチメディア技術の長足の進歩やインターネットの急速な普及を背景とした教育・学習・研究環境の大きな変化であることはいうまでもありません。
 その一方で、大学図書館にはひと昔もふた昔も前からの懸案が積み残されていることがあります。とくに北海道大学附属図書館本館のように、古い構造の建物に長い年月をかけて100万冊をこえる蔵書が構築されてきた図書館では、新旧の課題が山積し、重層化するなかで、古くからの課題の解決が後回しにされるケースが生じているのです。
 本館に所蔵する歴史的資料の整備−−より正しく表現すれば歴史的資料とその保存および利用環境の整備−−という懸案は、そのようなケースの一つに他なりません。このほどようやくその解決に向かって見通しが生まれてきたことについて経緯をご報告し、関係各方面のご理解を得たいと思います。
 
 先人の遺産を次の世代に
 本館の蔵書で最古の書物は、私の知る限り、1524年版のラテン語聖書です。これはたんに古いというだけでなく、国際連盟事務局次長として欧州滞在中の新渡戸稲造がロンドンで入手し、札幌農学校同窓の内村鑑三に贈ったとされる来歴の点でも、第一級の貴重書であり、附属図書館では北方資料室の展示ケースに納めて保管しています。
 おそらくその次に古い書物は、1530年版のユスティニアヌス法典と思われます。大型コレクションとして購入したドイツの法制史家、ハンス・ティーメの旧蔵書の一冊として書庫に保管しています。
 1524年とか、1530年といえば、グーテンベルクが活字印刷術を創始してから、まだ100年とたっていません。こんな古い書物を眼前にするとき、幾世代にわたり、有名あるいは無名の多くの人びとの手を経て、今日この本がここに在るという事実の前に、襟を正す気持ちにさせられます。
 正確な冊数を把握していませんが、本館の蔵書中には、洋書に限定しただけでも、16世紀に刊行された数十冊、17世紀に刊行された数十冊、18世紀に刊行された数百冊といった古書籍が含まれています。このような古書籍は無条件に貴重図書の要件を満たしています。
 一般に書物の資料的価値というものは、一点ごとに評価できるものもあり、刊行年は評価の尺度の一つに過ぎませんが、それを離れて、一つの集合体として評価すべきものもあろうかと思います。後者の例としては、札幌農学校旧蔵文庫やさまざまな個人コレクション、大型コレクションが該当するでしょう。
 北海道大学附属図書館の源流は、札幌農学校の講堂に設けられた「書籍室」に遡るとされ、農学校開校の時点で「書籍室」の蔵書数は6149冊を数えたと記録されています。これを受け継いでいるのが札幌農学校旧蔵文庫(1万2200冊)です。
 同様に、初代の北海道帝国大学総長をつとめた佐藤昌介をはじめ、南鷹次郎、新渡戸稲造、宮部金吾など、ウィリアム・クラーク博士の薫陶を受けた草創期の札幌農学校卒業生の旧蔵書が附属図書館に受け継がれてきました。農学書を中心とする佐藤文庫(6000冊)と南文庫(4000冊)、植民学のほか広く人文社会科学をカバーする新渡戸文庫(2000冊)、キリスト教関係の内村文庫(1250冊)、植物学の宮部文庫(1700冊)がそれです。
 そのほか、第二次大戦後に発足した法文学部、のち文学部で教鞭をとったアイヌ語学者、知里真志保のコレクション(1300冊)もあります。
 当然のことですが、附属図書館はこのような先人の遺産をきちんと保存し、次の世代に残してゆく責務を負っています。利用しやすい状態にして研究者の利用に供するためには、書誌情報のデータベース化も不可欠です。
 
 貴重図書を貴重書庫へ
 それでは、貴重図書の取扱いについて、附属図書館はどのような手だてを講じてきたのでしょうか。
 附属図書館では、第145回および146回図書館委員会(1991年3月14日、7月4日開催)の議を経て、1991年7月4日づけで「北海道大学附属図書館貴重図書等の指定及び取扱いに関する要領」を制定し、あわせて「北海道大学貴重図書等指定基準」を定めました。故・近藤潤一先生が館長の時代でした。
 「要領」は、貴重図書指定の手続きを規定するとともに、蔵書印を押印するときの注意など、その取り扱いを細部にわたって定めており、配架場所については「附属図書館内の貴重書庫とする」こと、貴重書庫については「防虫、防湿、防火等貴重図書等の保管に必要な措置を講じなければならない」と明記しています(全文は館報『楡蔭』86号に掲載)。
 翌年3月には、館内に「貴重と書保存庫」、または「貴重書庫(仮称)」と呼ばれるスペースが確保され、一部の大型コレクション等の資料について、書庫内からそこへの再配置がはじまりました。当時、このスペースから仮称の括弧付きを取り除くため、一定の努力は払われたことと思います。しかしその努力は報われなかったようです。結局この部屋は、およそその名にふさわしくない代物にとどまる結果となります。おそらく当初予定されていた空調設備の予算がとれないまま、上記の「要領」と「基準」は死文化するにいたり、以来この夏で8年を迎えようとしているのです。
 現在、札幌農学校旧蔵文庫は北海道大学沿革資料とともに北方資料室で管理され、きちんと保存されています。個人コレクションについては、その多くが保存体制も利用環境も万全とは言い難く、大型コレクションは安住の地を求めて書庫内を彷徨っているような状態です。
 附属図書館は、何か特別の事業を展開しようとするとき、充当すべき自前の財源を何も持っていません。気運を盛り上げるにはキッカケが必要です。宿願の解決に向かって見通しが生まれるキッカケとなったのは、創基125周年記念事業という枠組みが与えられたことでした。
 
 創基125周年に向けて
 北海道大学は新世紀の最初の年となる2001年に札幌農学校の開設からかぞえて125年を迎えます。この節目の年に意義ある事業を実施するため、創基125周年記念事業計画委員会が動き出したのは1997年度に入ってからのことでした。ついで、この年10月27日の事業計画委員会で、7項目の記念事業案が決定されます。そこには、「年史の編纂」や、「構内の自然の創生」などと並んで、「学内の歴史的資料の整備」という項目が立っています。
 当初この項目は、具体的には「総合博物館設置構想にもとづく特別展示の公開」の1点だけを念頭に置くものでしたが、1998年度に入り、第2点として「図書館資料の特別展示の公開」を加える構想が浮上しました。以来、附属図書館が記念事業計画委員会や図書館委員会の場を通じて全学に訴えてきたのは、創基125周年記念事業の一環として、開拓使仮学校・札幌農学校以来の北海道大学沿革資料、札幌農学校旧蔵文庫、新渡戸稲造・内村鑑三・佐藤昌介に代表される札幌農学校の著名な卒業生の個人コレクションの保存体制を整備したい、あわせてそれら貴重資料の特別展示公開、ネットワークを介しての全国発信を実施したい、という要望でした。
 この構想は、大別して、「資料の保存・公開」と「資料の展示企画」の二つの部分からなり、次のようなコンセプトに基づいています。
 ①「資料の保存・公開」:本学125周年記念事業のうち「学内の歴史的資料の整備」の一環として、北方資料室に保管されている北海道大学沿革資料および札幌農学校旧蔵文庫に加え、内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾に代表される札幌農学校の著名な卒業生の個人文庫や大型コレクション等の貴重資料を将来にわたって保存するための環境を整備するとともに、ネットワークを介して全国に公開し、研究者の利用に供する。
 ②「資料の展示企画」:本学附属図書館が所蔵する資料のうち、北海道大学沿革資料をはじめ、写真や古地図・図類、貴重資料等の展示・公開を行う。これらの展示を観覧することにより、本学の125年を回顧するとともに、将来に向かって飛躍するための縁とする。
 幸い、この構想は全学の理解を得て記念事業案に書き加えられ、予算化される運びとなりました。
 構想の具体化については、図書館委員会のもとに「図書館資料の特別展示公開検討小委員会」を設け、対応する館内のワーキング・グループを組織して、実施基本計画の検討をはじめましたが、できるところから着手するという考えに基づいて今年度は、内村鑑三文庫から随時書誌データを作成し、すでに構築されている北海道大学総合目録データベースに入力する作業をはじめる予定です(データ入力数約2万冊)。
 「資料の保存・公開」のための施設整備については、北方資料室を中核として、空調設備を備えた十分なスペースを確保するとともに、公開・展示のための施設を設ける計画を立て、来年度の工事を見込んで現在検討を進めています。
 
 おわりに
 北海道大学附属図書館では、年度始めに策定した当該年度の事業計画案を全学の図書館委員会の審議に付し、前年度の事業計画の実施結果についても図書館委員会に報告して了承を求めることにしています。このような形をとった一種の自己点検は最近はじまったばかりの新機軸ですが、このことはとりもなおさず、附属図書館のかかえている課題が近年多岐にわたり、その早急な解決に向けて少なくとも1年ごとの点検が欠かせなくなっているからに他なりません。
 1998年度の事業計画実施結果報告では、大は足掛け3年がかりで進めてきた図書館システムの更新から、小は本館正面玄関の駐輪場の環境整備にいたるまで、実に多くの事項が列挙されました。年度当初に「本館貴重図書室の整備改修」と記されていた事項が、「北海道大学創基125周年記念事業の一環としての図書館資料の特別展示公開事業計画の中で、貴重図書の保存管理体制の整備を図ることにした」と位置づけ直されたことについては、上に述べてきたことをお読みいただけば、ご理解いただけたものと思います。
(はら てるゆき スラブ研究センター教授)


                                              蝦夷人種種痘之図



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