本は脳を育てる ~北大教職員による新入生への推薦図書~ 

推薦者 :  小林和也      所属 :  高等教育推進機構オープンエデュケーションセンター      身分 :  職員      研究分野 : 
生き方について考えることをやめて何らかの実験を生きるには
タイトル(書名) 千のプラトー : 資本主義と分裂症
著者 ジル・ドゥルーズ, フェリックス・ガタリ [著] ; 宇野邦一 [ほか] 訳
出版者 河出書房新社
出版年 1994
ISBN 4309241514
北大所蔵 北大所蔵1 
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推薦コメント

生き方がわからないなんて不思議なお話だ。だって君は現に生きているのに? それでも問うてみたくなるのはなぜだろう。生きているのは苦しいし、悩みは耐えない。だからなぜこんなに苦労してまで生き続けなければならないの? どう生きればいい?と問いたくなるものだ。

こういう時はたいてい「生き方」なんていう言葉遣いが分析・分節されてつくしていないからだ。こういう乱暴な言葉遣いには気をつけたほうがいい。「生き方」が違うから分かり合えません。じゃあどうやって人とやっていくのさ?

言葉を分析するには、どうしたらいいだろう。こう考えることはできないか?そもそもこの「生き方」なる単位が「モル的」な、つまりあまりにも雑多な異なるものを一括りにしている大雑把過ぎる概念なのではないか?ということだ。

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ、精神科医フェリックス・ガタリによる『千のプラトー』では、こういう大雑把なものを「モル状」なものとして理解する。ほら科学で勉強したでしょう?アボガドロ数というやつだ。そういうモル的なものはたくさんあって「社会」や「国家」や「人種」なんて大雑把な単位もモル的にではなくて「分子状」に理解すれば、それは個々の人間の集合だし、個々の人間もまた様々な力(欲望とドゥルーズ=ガタリなら言うだろう)の束で出来ている。

もともとそういう異なるものの衝突によって出来上がっている僕らが「生き方」に悩むのは当然なのだ。なぜならそういう衝突による葛藤そのものが僕らであるから。だから僕らは悩むことそのものには悩む必要なく、むしろ悦びを持って悩みの内容について悩むことができるのだ。ドゥルーズの哲学にはそういう根本的な力強さがある。

本書の中では、難しい例え話がまるで分裂病患者の書いた手記のようにサンプリングされているが、それもまた新たな思考の実践を行っているからだ。恐れず読んでみて欲しい。モル/分子という理解できる概念対から読み始めれば、やがて他でも事態は同じことなのだと理解できるはずだ。

分析されていないものは一度砕いて分子状に理解するといい。そいつは水漏れをおこし、いまにも細かな切片に砕けていきそうだ。そこに「逃走線」がひかれる。例えば、君がとてもきつい職場で過労死寸前、自分はこの生き方、この仕事でしか生きられないし、どうしようもないと考えているとしよう。

本当にそうなのか?その状況には様々な力が関わっている。本当に出口なしなのか?どうしようもなくさせている状況、生き方を分子状の諸力に解体して理解してみよう。それらの状況を生み出す力の束である「自分」なんて守らなくてもいいんじゃないか?つまり命を引き換えに保つ自分の体面なんてあるのかどうか、それら価値のうちどの力が強いのかをしっかりと分析することだ。

すでにこの人物が状況に強制されて思考し始めていること自体が、こういう状況に対応し、そこから鮮やかに逃亡することによって新たな現実を作り出す小さいけれども第一歩だ。実験すること、それには危険が伴う。死んでしまうことだってあるかもしれない。以前の自分と同じではなくなるだろう。けれどもやってみるしかない。そうすることだけが新たな現実を作り出す。ドゥルーズ=ガタリはそのことを「逃走線こそ現実だ」と述べている。そして以前の自分とは全く異なるものになる「生成変化」。これが生きていくこと、生き続けるということの鍵となるはず。


※推薦者のプロフィールは当時のものです。

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