類まれな人間観察の鋭さ |
タイトル(書名) | : |
君主論 |
著者 | : |
マキアヴェッリ |
出版者 | : |
岩波書店 |
出版年 | : |
1959 |
ISBN | : |
|
北大所蔵 | : |
北大所蔵1 |
| |
クリックすると北大OPAC(蔵書検索)で該当図書を別窓で表示します。 |
| | |
推薦コメント |
| |
マキアヴェッリあるいは『君主論』というと、後世に染みついた「権謀術数を弄する奴」というイメージが浮かぶが、実際の彼はそういうことを中心的な思想として言いたかったわけではない、というのが今日では一般的な理解となっている。この本は時として“政治思想の古典”などと言われるが、そういう読み方を一旦脇に置いて、彼がこの本の中でどのように人間を描き出しているかを読み取っていくと意外に面白い。それも、表だって書かれている様々の君主ではなく、名前すらも分からないような一般人や兵士たちを、国や君主にとってどのような存在と見ていたかに焦点を当てて読むとこれがまた面白いのである。是非彼の鋭い人間観察眼を追体験して、この古典の別の一面を発見してほしい。
ただ、歴史的な背景が分かりにくいところもあるので、家田義隆『マキァヴェリ-誤解された人と思想-』(図書館にある)を参考にするとよいと思う。さらに、塩野七生『わが友マキアヴェッリ-フィレンツェ存亡-』(これも図書館にある)も今年になって新たに新潮文庫から3巻本で刊行されたので、一読をお勧めする。
翻訳はいろいろあるが、岩波文庫の黒田訳(1959年改訳版)と河島訳(1998年)を読み比べた限りでは、(イタリア語が読めないので文法的な正確さについては何も言えないが)河島訳は半分が註と解説でいちいち参照していたら煩わしいし、一文や修飾節が長かったりして日本語として読みにくいところがある。黒田訳は、(何しろ初訳は1935年だから)ことばはいかにも古めかしいところがあるが、それなりの趣がある。個人的にはこちらを勧めたい。
|
|