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キャンベラにマグナカルタプレイスという小さな緑地があります。碑文によるとオーストラリア建国(1901年)はこのマグナカルタ(1225年)を礎としているということだったと思います。もっともあとで調べてみるとその国の憲法にはそんな一文はなく、建国の手続きばかりのようでした(総督の給与をいくらにするとか)。英国から移民したひとたちにとってマグナカルタの占める位置は当然のことだったのでしょうか。
残念ながらこの国は法というほどのものを生み出しませんでした。有史以来(?)天皇家がこの国を統治しているということに非常な価値を見出している人々がいますが、それはとりもなおさず、マグナカルタも持たず、ホッブズ(1588−1679)もロック(1632−1704)も生み出さず、代わりに北畠親房(1293−1354)の神皇正統記を得たのみであったということですから、誇るべきことなのか悲しむべきことなのか、私には判断できかねます。現在この国の憲法を全面的に改正しようという論議が起こされていますが、もう少し広い視野をもって憲法の問題をみる必要があるのではと思い、この本を推薦します。著者はこの国にすむアメリカ人で、すでにこの国の憲法について何冊か著述があります。 |