高度情報化時代における図書館への期待


                 医学部長 齋藤和雄


 先日,図書館長の三本木先生から楡蔭に掲載する原稿を書いてほしいとの
依頼を受けた。楡蔭への原稿といえば十数年前に生命科学に関する所感を掲
載して頂いたことを思い出す。当時,我が国では科学の流れが物理学や数学
から生物学の時代の到来だ,などといわれ,医学においては,分子生物学的
技法を用いた生命科学に関する研究に力を注ぐ気運が盛んであった。アイン
シュタインの相対性理論(1916),オパーリンの生命の起源(1936)
などの渓流を受けつつ,ワトソンとクリックのDNA2重らせん構造の発見
(1953)に続く分子生物学の台頭で,近年,生命科学の研究は一つのピ
ークに達したようにさえ思われる。そして,生物化学はDNAの組換えや遺
伝子操作が自由に行えるところまで進歩した。また,最近では細分化から統
合の重要性が論じられ,とりわけ,医学においては生命倫理やインフォーム
ドコンセントが真剣に考えられる時代に入ったといえる。
 一方,このように生命科学が進歩するなかで,脳研究の気運が非常に高ま
っている。これにはコンピュータサイエンスの進歩が関係するかもしれない
が,もともとブラックボックスといわれる人の脳は,その機能の仕組を解明
することによって明らかにされる。そして,この脳機能の解明こそがコンピ
ュータサイエンスの進歩の基盤につながるものと考えられる。すなわち,記
憶,思考,判断,注意などの高次精神活動の解明はそのままコンピュータサ
イエンスに応用され,人工知能の開発に役立つのである。
 ところで,図書館は,我々が科学を推進する際の支援組織として位置づけ
られることには誰も異存を唱えることはないと思われる。しかも,現代科学
の実践において,図書館に対する我々の期待は大きい。但し,その期待は人
文科学,社会科学,自然科学,応用科学等の専門分野によって内容や要望に
大きな差があると思われる。一般に図書館といえば立派な大きな建物と沢山
の蔵書を保有していることをイメージする。
 現在,北海道大学の図書蔵書数は平成7年3月31日現在で,和書1,5
93,592冊,洋書1,443,390冊,計3,036,982冊とな
っているが,これらの蔵書は各部局分散保有型であり,附属図書館が保管す
る蔵書数は和書で35.8%,洋書で32.0%,和書,洋書を合わせてわ
ずか34.0%である。この形態は,HINESのような情報システムが備
わっていないキャンパスにおける図書の貸出しと閲覧を中心とした利用法か
らすれば専門別学問分野や物理的距離からいってそれなりに便利であると考
えられるが,情報化時代を迎え,情報システムが発達した現在,このような
状態が将来も続くのであれば真に由由しいことである。また,北海道大学で
は平成7年3月31日現在,56カ国から475名の留学生を受け入れてい
る。そのうちアジアからの留学生が80%を占めているが,彼らが自国の大
学や研究所の図書館にアプローチし,利用するとすれば,手紙,電話または
ファクシミリによる方法が圧倒的に多いと思われる。将来,夫々の国に情報
ネットワークが充実し,彼らが北大からHINESを利用して情報検索を行
うことができるようになれば,どんなに良いだろうか。同様に,北海道大学
が大学間または学部間協定を結んでいる海外の大学は14カ国,43大学に
渡っているが,将来,協定大学とリアルタイムで情報交換が可能になること
を強く希望するものである。さらに,近い将来,図書館はインテリジェント
ビルに衣替えして,各研究室から居ながらにして直接希望の図書館情報を,
学内はもちろんのこと,国内外からも得られるようになることを強く希望し
たい。
 現行の部局分散型図書管理については,すでに三本木図書館長が昨年の大
型計算機センターニュースと本誌でふれておられるが,私も職員の一人とし
て全く同感であり,ここで全学をあげて図書館の在り方を真剣に考えなけれ
ばならない時にきているのではないかと思われる。現実の話として,文系,
理系,医系などを問わず,北海道大学で保有するすべての図書館情報をデー
タベース化して,附属図書館で管理し,各研究室からHINESを利用して
図書館にアプローチし,必要な学内および国内外の情報を検索後,プリント
アウトするか,またはCRT画面で読めるようになればどんなに良いだろう
か。医学部ではこのような夢を少しでも実現しようとして,この度の新臨床
講堂の建築に当たって,教育に活用する目的で視聴覚設備を充実した。すな
わち,遠隔地の医療支援のために行われているPACCS伝送画像,手術室
や剖検室の映像,病理診断組織標本をハイビジョンカメラで映像した画面,
インターネットを通じて世界のデータベース化された大学や研究所の医学医
療情報などを講堂のスクリーンに撮し出し,教育に役立てることができるよ
うになったことである。さらに,大型計算機センターのスーパーコンピュー
タへの利用とスーパーハイウエーへの接続,学部または大学間テレビ授業,
通信衛星を利用した双方向討論などが可能になり,生きた教育に役立てるこ
とができるようになったことである。
 最近,どの学部でも教官選考に関連して選考対象者の業績をCD‐ROM
などにより文献検索を行い個人の学術情報を得ている場合が多いと思う。そ
こで,データベースの収録内容と精度が問題となる。限られた専門分野の文
献情報を検索するのであれば,最近2,3年の情報を除けば,ほぼ満足でき
るほどに検索でき,情報を居ながらにして手にすることができる。しかし,
個人情報についていえば,経験上せいぜい70%位の学術情報しか得られず,
まして業績のみならず教官としての資質を総合的に判断するための個人情報
を得ようとしてもほぼ皆無であり,期待することは殆んどできない。業績に
関して,とりわけ日本人の情報は非常に煩雑であり,この理由は同姓同名が
余りにも多く,フルネームでなく,姓とイニシャルが一つだけ入力されてい
ることによる。精度をあげるために,所属コードを加えて検索するが,それ
でも判断しかねることが多くある。業績検索は過去に遡るので,所属が変わ
っていれば,なお困難である。また,日本語の文献であれば優秀な論文でも
入力されておらず検索されないこともしばしばである。しかも時間とお金を
かける割には情報は不十分で,複数の候補者を比較検討し,選考を進めてい
くことは困難である。結局,本人に直接業績を請求するのが確実で,それを
もとに検討して行くのが得策となる。そこで提案したいのは,日本人の場合,
発表論文には名のイニシャルをやめて,フルネームを記載する習慣にしては
どうかということである。換言すれば,CD‐ROMなどの文献サービスの
データベースには情報をユーザーの立場に立って検索し易いように入力する
工夫がまだまだ必要のように思われる。さらに最近,学術雑誌のインパクト
ファクターが示されるようになった。現在,欧文ジャーナルが中心で毎年更
新されるようになっている。これは個別の論文ではなく当該のジャーナルが
広く読まれ,引用される程度を示しており,いわゆる広い専門分野にまたが
るScience,Nature,Cell,Bloodなどの値が極端に
高く,ごく限られた専門分野の雑誌のインパクトファクターは極端に低い値
となっている。科学を国際競争の中で捉えて評価することは重要なことであ
るが,最先端の研究だけでなく,基礎的で地味な研究も重要であり,両者が
揃うことによって確固たる科学基盤が形成されるものと考えられる。また,
最近国内学会の学会誌を英文化しようとする気運が高まっている。残念なが
らこの理由は日本語が国際語として通用しないことによるが,このような思
いをしている国は日本だけでなく数多くあるのも事実である。国際化の時代
を迎えた今日,この努力は止むを得ないのかも知れない。
 学問が急速に進歩する中で,各国の科学水準に大きな格差が生じているこ
とも事実である。これには科学技術の進歩のために傾注する国の施策が大き
く影響することは明らかである。1,000億円以上を目指す文部省科学研
究費の予算が今年度ようやく900億円まで達した。また,国立大学の建物
が諸外国のそれと比べて余りにも貧弱であることは良く知られた事実である。
建物だけならよいが,スタッフの数,設備,さらに独創性などの面において
も同様のハンディがある。このように多くのハンディを背負いながら我が国
の学者は所定の休暇もとらずフル回転をしている現状であるが,それでも国
際競争に打ち勝つ水準までにはなかなか到達しない。外国人によって,日本
人とは兎小屋に住み,働き蜂のように仕事熱心で勤勉な人種である,としば
しば語られてきたが,経済成長に成功し先進国の仲間入りをした現在でも,
まだそのイメージで語られているのは誠に残念である。これを拭いさるため
にはまだまだ内需拡大をし,国内整備を図らなければならない。かけがえの
ないすばらしい日本文化に加えて,早急に国際水準に達しなければならない
のはサイエンスの分野であり,国内整備の第一にあげてほしいのは大学であ
ると考えるのは私だけではあるまい。以上のことは,我が国の科学水準がど
うであったかを歴史的に考えても良く理解できることである。
 終わりに図書館のインテリジェントビル化が一日も早く実現することを重
ねて心から願う次第である。

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