The Works of Geoffrey Chaucer の寄贈

文学研究科助手  宮下 弥生


 The Kelmscott Chaucer のファクシミリ版(The Folio Society 発行)が、本学名誉教授 Willie Jones氏(言語文化部)より寄贈された。氏は15年半に渡り本学で教鞭をとって来られたが、本学に感謝の気持ちをお示しになりたいと今回の寄贈を希望された。
 Kelmscott Press はイギリスの詩人・美術工芸家である William Morris (1834-96) が1890年に設立した出版社で、Geoffrey Chaucer(c.1343-1400) を始めとする中世文学や彼自身の作品も含めて53冊の作品を出版した。Morris は詩人として中世のロマンスにあこがれるロマンティックな世界を構築したが、一方で自分のまわりに現実として存在する醜悪な機械文明、物質文明に対する不満を、日常生活を取り巻く品々を自らの手で作り出すという形で示した。機械が大量に生産する画一化された調度ではなく、室内装飾も手作りの美しさを持たなければならないと考え、自らの手で糸を染めタペストリーを織り、家具やステンドグラスを作り、植物をモチーフにした壁紙のデザインを描いたのだった。このことは本についても言えた。機械によって大量に出版される本もやはり物質文明の象徴であった。そこで彼は Kelmscott Press を設立し、自らのデザインによる優美な活字や装飾文字、縁飾りを用い特別の手漉きの紙に印刷し、美しい豪華本を出版したのである。
 今回寄贈されたのはその中でも最も有名であり、Morris の業績の集大成とも言うべき The Works of Geoffrey Chaucer (1896) をロンドンのThe Folio Society が recreate したものである。原本の装丁を丁寧にはずし、Cambridge University Press が写真印刷した。湖水地方の James Cropper という小さな会社が特別に製作したクリーム色の簀入りの紙を用い、表紙は今回の出版のために David Eccles が細心の注意を払って複製した葉っぱの文様を、山羊の革に金箔で型押しし、さらにそれを Smith Settle of Otley が手作業で製本したという(そのため限定1000冊の出版である)。Morris が先導した The Arts and Crafts Movement が21世紀の今日にも生きていることを感じさせる、recreation という語がふさわしい、気品溢れる重厚な、まさに芸術品というべきものである。
 今回寄贈された本を、私も手にとって、というよりは重いので机に置いて、見ることができた。書物でありながら書物を越えた芸術品であり、そしてやはり読むための書物であった。Morris は出版する作品に応じて中世の写本を参考にゴシック活字のデザインを考案したが、The Works of Geoffrey Chaucer にもそのためにデザインされた Chaucer というフォントが用いられている。中世の写本の文字はなかなか読みにくいものであるが、このフォントは中世的でありながら、現代の読者にもとても読みやすいものとなっている。私はこの Chaucer という活字に、使い勝手がよく、美しくという Morris の精神を見たように思う。(もしこの本が自分のものだとしたら!)書斎の机にこの本を置き、どんどん The Canterbury Tales やら Troilus and Criseyde やらを読み進めていける、その感覚に驚いた。現代の活字で読むのとあまり変わらない感覚で読めるのに、各ページが美しさに満ちている。まさに日常生活と芸術の融合であった。
 そして、ページを繰っていくと、物語の内容にふさわしい沢山の挿し絵を楽しむことができる。装飾やレイアウトは Morris 自身が担当したが、挿し絵は旧友で画家の Edward Burne-Jones が描いたものである。葡萄と葉っぱなどの一面の装飾に "the works of Geoffrey Chaucer now newly imprinted" の文字が浮き上がるタイトルページをめくると Chaucer とおぼしき人物が紙のようなものと鵞ペンを手に庭の中で詩作にふける様子が描かれている。しかしこの絵の Chaucer は私たちが見慣れた物腰の柔らかそうな、ややふっくらとした Chaucer の肖像画(作者不詳、National Portrait Gallery, London 所蔵)とは違っている。もう一つ特に印象深かったのは The Canterbury Tales の中の "The Knight's Tale" に添えられた挿し絵、恋敵の Palamon と Arcite が牢獄の鉄格子から隣の庭にいる Emily をながめているものである。Chaucer が材源として用いた Boccaccio の Teseida の挿し絵を意識しながらも、Morris の創り上げたこの版にふさわしい挿し絵であるといえよう。
 現在 Jones 先生(親愛を込めて私たちはそう呼んでいるのだが)は、文学研究科の英米文学特別演習(担当教官は長尾輝彦教授)をお手伝いくださっている。英文学全般に深い知識と理解をお持ちであり、Shakespeare の言葉一つ一つをわかりやすい表現で、イギリスの文化的背景も差し挟み、ユーモアも交えながら、解釈し説明してくださる。中でも私たちの一番の楽しみは先生の魂のこもった演じ読みである。時にはおもしろ可笑しく、時には言葉が心に迫るように響いてくる。その先生への日々の感謝を込めてこの紹介記事を書かせて頂いた次第である。


同書より、タイトルページと The Canterbury Tales の冒頭部分



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