電子ジャーナル化のもとでの学部学生の新しい学習環境 
                                         
附属図書館副館長・北分館長 吉野悦雄
 
 1997年の夏,和歌山県で「毒入りカレー事件」といういまわしい事件が発生しましたが,当時中学三年生だった三好万季さんは夏休みの理科の宿題でこの事件をとりあげ,もっぱらインターネットで医学情報を集めて,詳細な分析を行い,世間を驚かせました。このレポートは後に文芸春秋社から『四人はなぜ死んだのか』と題して出版されています。
 2001年に同じようなことが北海道大学の医学部でも起こりました。医学部六年生のある学生は,「MEDLINE」などの学術文献データベースと電子ジャーナルを縦横に駆使して情報を集め, 教授の指導のもとに実験を行った結果を神経科学の分野では世界のトップ・ジャーナルといわれる雑誌に投稿し,レフェリーの審査をパスしました。たいへん喜ばしいことであります。
 一般に,大学の教員は学生のインターネット利用に関して否定的な感情を抱いているようです。曰く「ネットサーフィン(波乗りのように数秒ごとに異なるホームページを覗く行為)しかやらない」,「便所の落書きのような情報しか見ない」,「書き込み掲示板のチャットで時間を無駄にしている」,「他人が書いた情報をマウスで丸ごと写し取ってレポートに引用して提出する」等々。
 しかし,上に紹介した例が示すように,学術文献データベースと電子ジャーナルが備わったインターネット環境は,新しい地平を切り開く可能性を学部学生に与えています。
 以下では,教員としての私自身の経験や同僚の教員の経験を紹介しつつ,大学図書館のインターネット環境と学部学生の学習方法との関連について考えてみたいと思います。
 現在では,ほとんどの大学で初年次学生に対して情報処理科目が必修か準必修となっています。しかし情報処理科目において,附属図書館の利用方法や情報検索手法が授業内容に盛り込まれている大学は少ないようです。北海道大学のばあい,「一般教育演習」という授業科目の中で半期に1回の90分だけですが「情報探索入門」という授業時間を作っており,約半数の新入生が受講しております。
 この「情報探索入門」の限界は,指導時間が短く,また図書館職員がインストラクターをつとめる関係上,内容がどうしても各種データ・ソースへのアクセス方法の説明に片寄りがちになるという点です。山のようにあるインターネット情報の中から,真に価値ある情報を選び出す実質面での指導は,教員と図書館職員が協力しつつ実施していかなくてはなりません。
 例えば,厚生労働省のホームページからは,日本人の詳細な死因統計が得られること,国土交通省のホームページからは全国のすべての公示地価が得られること,各種審議会の議事録が公表されていることなどは,医学や法学,社会学,経済学の教員が自身の講義の中で新入生に知らしめていく必要があるでしょう。それと同時に,いかに多くの個人ホームページに誤りや意図的な虚偽情報が含まれているかも学生に教えなければなりません。これらのソフト面でのインターネット利用教育は教員と図書館職員とが協力して実施されることが望まれます。
 大学一年生の授業科目は,どうしても物理・数学・英語など基礎学力の涵養に重点を置いたものになりがちです。しかし学生はもっと専門的な知識に飢えているのも事実です。このようなミスマッチを埋める効果的な授業方法にレポート報告を中心とするセミナー形式の学生参加型授業があります。このセミナー形式の授業の中で学術文献データベースの役割とその利用方法を学習させることは非常に効果的でした。
 しかし,いきなり英語論文データベースである「Web of Science」の利用というわけにはいきません。大学一年生は英語文献を読む学力は持っていますが,受験英語で疲弊困憊しており,英語文献には強い拒絶反応を示します。そこで国立国会図書館の「雑誌記事索引」を利用して日本語の雑誌文献を探させます。しかしここでも教員による適切な指導は不可欠です。国会図書館が所蔵している雑誌に掲載されている論文といっても,ホームページと同様に玉石混淆だからです。初年次学生は,生まれて初めて,学習すべき素材を人から与えられるのではなく,自分で選択するという行為を経験します。そして雑誌論文といっても玉石混淆であるという事実を知るわけです。
 三年生の後半くらいになりますと,英語論文を検索して利用するということが可能になります。指導する教員の側の工夫次第では,半分以上の学生が英語論文を利用するようになります。しかし,学生は英語論文に対して,常に恐怖心を抱いていますから,英語論文を読むための強いインセンティブ(動機づけ)を与えなければなりません。まず学生が行っている卒業研究やレポート課題に関して,当該分野では適切な日本語論文はごく少数であって英語論文を読まなければならないこと,英語論文といっても非常に単純な構文が多く,語彙も限られているので学生の英語力で十分読解可能なこと,一般に英語論文は短いので時間がかからないこと(あるいは短い論文を選ぶこと),難しい概念や理解できない公式に出会ったら無理をせず読み飛ばすこと,あるいは理解できる部分だけ理解すればよいということ,読めない論文は読まなくてもよいこと,などの点を学生に指導します。
 その際に,学術文献データベースの利用のテクニックをもう一段深く教える必要があります。理系であれば,「Web of Science」,「Current Contents」,「Medline」,「SciFinder」などの学術文献データベースで十分でしょうが,文系のばあいですと,それ以外に「ProQuest」や「EBSCO」などの電子ジャーナル提供機関の検索画面に入って,その提供機関がカバーする雑誌の中での論文検索も行った方がよいというような指導も行う必要があります。「LexisNexis」では法律情報や医薬品情報が含まれていること,東南アジアや中近東の現地語のラジオ・ニュースをBBCがモニターしたものを英語に翻訳して活字に起こしたものが収録されていることなど,学生の学習課題に対応したきめ細かい指導が必要となります。
 このような指導をすべての教員に要求することは酷というもので,図書館職員の協力がぜひとも必要です。そして本来ならば図書館情報学担当の教員が各大学に配置されるべきです。多くの大学で情報処理教育のために相当数の教員が採用されているのに,図書館情報学ないし情報探索学の教員が非常勤であれ採用されている大学は,司書資格コースがある大学を除けば,ごく少数です。北海道大学では一名もおりません。この任務を図書館職員に押し付けるわけにはいきません。図書館職員は本務である日常業務だけでも手一杯なのですから。
 次に,学生がどのような論文選択行動を採るかについて筆者の経験を紹介したいと思います。その選択行動原理は極めて単純なもので,学術文献データベースからフル・テキストで電子ジャーナルにリンクが貼られている論文,つまり論文の全文がパソコンの画面で読める論文だけをプリンターから出力するというものです。附属図書館や学内の学部図書室に印刷体で所蔵さ れている論文をコピー機で複写して読むということはまずありません。ましてや他大学所蔵の雑誌論文をILLサービス(大学図書館間の相互利用サービス)で申し込むなどということは絶対にありえません。電子ジャーナルをできるだけ充実させ,検索データベースと連携させるということが学部学生のためには是非とも望まれます。研究者や博士課程院生のばあいであれば,研究遂行それ自体に高いインセンティブがありますから,他学部の図書室まで足を運び,他大学に複写依頼を行うことは当然ですが,学生にそこまで期待することはできないからです。
 具体例を紹介しましょう。I君は私のゼミナールで卒業論文を書いた経済学部の学生でした。彼はハンガリーにおける自殺率の高さと経済・社会状況との関係を研究テーマに選びました。この分野では日本語の論文はひとつもありません。当然,I君は英語論文で情報を収集しなければならないことになり,しかも即座に膨大な量の文献があることを知りました。ハンガリー人の学者自身が主に英語で論文を発表しているからです。I君は経済学,社会学,人口学,公衆衛生学,法医学,人文地理学などの国際雑誌から英語論文を選択しました。
 M君はまだ学部三年生ですが,ヴェトナム山岳地帯の農村経済構造を研究テーマに選択しました。彼に対しては,英語の学術文献のほかに「LexisNexis」を用いて「New York Times」の記事やBBCの現地語ラジオ・ニュースのモニター記事を検索するように指導しています。つい数年前までは,英字新聞の閲覧とは,最初から読むべき年月日が分かっているばあいしか考えられなかったのですから,大変なちがいです。
 重要なことは,学術文献データベースを用いて情報ソースを探していくと,研究が必然的に学際的・複合領域的になるということです。上に紹介したI君の例のように,たった一つの単語「suicide」から,学問分野は限りなく拡がっていきます。
 このことは,もしかしたら大学図書館が電子ジャーナルを整備することの最大のメリットではないかと考えています。もしも,従来から印刷体で閲覧していた雑誌のみを電子ジャーナルで閲覧するようになっただけだとすれば,それは単に速くて便利になったというだけ,あるいは複写機料金よりパソコンのプリントアウトの方が安くあがるというだけの変化でしょう。
 キーワード検索によって,必然的に今まで関心を向けなかった領域の雑誌の論文まで,少なくとも論文タイトルだけは読むようになる,ということは素晴らしいことだと考えます。学際的研究の必要性が叫ばれて久しいわけですが,従来は科学研究費の構成メンバーの選定や学内の研究組織改革というような人と人との連携でこの課題に取り組んできたように思われます。むろんそれは必須の取り組みです。しかし学術文献データベースと電子ジャーナルの導入によって,「たった一人の学際的研究」も可能となったのです。
 このことの意義は,大学院生や若手研究者にとって測り知れなく大きいと思います。北海道大学では,電子ジャーナルの導入以前は約八千種類の洋雑誌を購読していたのですが,現在ではそれより60%ほど多い1万3千種類の雑誌が電子ジャーナル化によって閲覧可能となりました。そして学部の新入生をはじめとしてすべての学生・院生がこれらの雑誌に自由にアクセスできるようになったのです。
 これらをサポートするハード面での整備も行わなければなりません。附属図書館では低学年次学生が主に利用する北分館に77台のパソコン端末を,高学年次学生が主に利用する本館に38台の端末を設置して,これに応えています。講座研究室の設備を利用しづらい低学年次学生に対してこそ,ハード面でのサポートを充実させる必要があるからです。このように北海道大学では,ソフト・ハードの両面で先進的な取り組みを行ってきたと自負しております。
 しかし心配なことがひとつあります。それは,電子ジャーナル化の進行に伴って,大学間の学習環境の差別化が拡大するのではないかということです。国立大学の間でも閲覧可能雑誌数の格差は大きいものがありますが,私立大学・短期大学間にあっては,その格差はさらに大きくなります。正確な統計は知りませんが,包括的な電子ジャーナル契約を締結している私立大学はまだ少数派なのではないでしょうか。
 たしかにコンソーシアム(分担金共同負担による複数大学の電子ジャーナル契約)という制度はありますが,現状では国立大学と私立大学との連携は実現できません。また小規模私立大学や短期大学にとってはコンソーシアムへの参加が非常に困難な価格体系となっています。
 国際的研究者の育成という観点をとってみても,基幹大学の多くの教員は大学院卒業後,中小規模の大学で良い研究成果をあげて基幹大学に移籍するというキャリアーを経るのですから,中小規模の大学や私立大学での研究環境を整える必要があるわけです。
 また社会への人材供給という観点をとってみても,すべての大学の学生が,グローバルな情報ソースを探索してアクセスできるテクニックを身につけて就職するということは,将来の日本社会の活性化に役立つでしょう。
 図書館関係者だけでなく,広く教育関係者の皆さんにもこの問題を考えていただきたいと思います。

参考文献
1. 『北海道大学における学術研究コンテンツの整備方策について(提言)』 (pdf)
2. 早瀬均,「本学における学術研究コンテンツの整備について」,『楡蔭』No.112, p.1-4 (2002.5)


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