経済学の古典とインターネット                                                           
                                            済学研究科教授 岡部洋實      
   国立国会図書館は、今年(2002年)10月からWEBサイト(http://www.ndl.go.jp/)で、電子図書館「近代デジタルライブラリー」の公開を始めた(図1)
 

                                          (図−1)

  これは、平成13年度までの調査で著作権の保護期間が終了していることが判明した明治期の刊行図書等約21,000件の全ページを電子的画像データベースに構築し、一般のブラウザ(WEB閲覧用ソフト)から検索・閲覧できるようにしたものである。
  このライブラリで画像データベース化された図書等は、ブラウザで閲覧できるほかに、専用のビューア(閲覧ソフト)をブラウザに組み込むことで、表示画像の大きさの変更や印刷ができるようになっている(ブラウザへの組み込み作業は簡単である)。また、検索した図書の目次と本文の該当箇所とはリンクしており、目次から必要な箇所を開くことができるほか、「しおり」機能を利用することで、読むのを中断したりマークした箇所を取り出すことができる。図書等の検索は、本学図書館の検索システムと同じ感覚で使えるし、もちろん、書誌データも表示される。
  図2・3は、この「近代デジタルライブラリー」に収録されている、明治初期に自由貿易主義を唱えた田口卯吉(1855-1905年)の『自由交易 日本経済論』1878年(明治11年)−1883年再版−の表紙と、同書本文の最初のページ(画像データの7コマ目)である。


 

           (図−2)                       (図−3)
                                                      

  国会図書館によれば、画像データは、先ずマスターネガ・フィルムから第2世代のフィルムを作成し、次にそれをスキャナにかけて作成された(『国立国会図書館年報 平成13年度』2002年)。図2・3はいずれも、現物の汚れと印刷のためであろうか、画像としては決して鮮明とはいえないが、それでも読むことは難しくない。存在は知られていても、復刻されることもなく、歴史あるところを除けば一般の図書館での所蔵も限られている図書を、インターネットを利用してどこからでも読むことのできる魅力は計りしれない。このライブラリには、名著として後世に伝えられることのなかった図書も含まれており、それらを遠隔地から自由に閲覧できることは、当時の社会・文化についての理解をより深めることに大きく貢献するであろう。 
  ところで、インターネットを利用して古典的文献の原典や重要文献を提供する試みは、経済学においても、1990年代前半からなされてきた。とくに経済学史・思想史の研究・学習では原典を読むことが不可欠の作業となるものの、復刻版を含めてそれらを入手するのが困難であることが多い。そのため、経済学史・思想史への関心と知識のある人たちがインターネット上に原典テキストのデータベースを構築しようとしたのは、当然予想されたことであった。これらのデータベースは、インターネットの普及・定着とともに拡張され、そのサイト数も増大して、この傾向は今なお続いている。
  例えば、カナダの Rod Hay 氏(the University of Guelph)が、McMaster University に所属していたときに作成した “Archive for the History of Economic Thought”http://socserv2.socsci.mcmaster.ca/~econ/ugcm/3ll3/)では、経済学史に残る200人近い経済学者あるいは関連分野の人物リストを基に、古典的基本文献とされる著作の英語版全文が、テキスト形式で提供されている。氏は、このWEBサイトを、主要な経済学者や学派の文献に接することが困難な学生たちに利用してもらうために作成したと述べているが、多くのリクエストにも拘らず、著作権法上の制約から近年の文献を載せることができない旨の断り書きがあって、こうした作業の難しさの一端を知らせてくれる。
  このサイトは、インターネットに関心のある経済学史家からいち早く注目され、地球的規模で利用できるミラーサイトも設置された。ヨーロッパ地域をカバーする Tony Brewer 氏による the University of Bristol のサイト、アジア・太平洋地域をカバーする Robert Dixon 氏による the University of Melbourne のサイト、そして、日本の赤間道夫氏(愛媛大学)のサイトである(後述)。
 学生たちの手によっても同様のWEBサイトが作られている。アメリカ合衆国ニューヨーク市の the New School for Social Research の経済学専攻の大学院生たちによる “THE HISTORY OF ECONOMIC THOUGHT WEBSITE”(http://cepa.newschool.edu/het/)は、内容と規模において、上述の McMaster University 以上のものであろう(図4)

                                    (図−4)
 

  McMaster University の場合と同様に、経済学史・思想史に残る経済学者、あるいは関連する人物の主要な著作の全文が、英語版に限られるもののテキスト形式で提供され、このサイトにアクセスさえすれば原典を読めるようになっている。サイトの INTRODUCTION によれば、このサイトは、学史的な文脈において経済学に関心をもつ学生や一般の人たち向けに作成された。そして、製作したのは、「経済学史を専門としてはいないが、現代経済学の諸問題と関連をもち、それらを明確にしうるという経済学史の可能性に関心を寄せる」複数の学生たちである。
  大学院レベルの学生たちであれば当然にもちうる関心の活発さがそうさせるのであろうか、経済学史・思想史の古典の主要文献はもちろんのこと、現役として活躍する著名な経済学者のよく知られた文献のうち、おそらくは著作権法上の制約のないものについては全文が提供され、そうでないものについても、著書・論文の題目が紹介されている。この中には、宇澤弘文、森嶋通夫といった英語圏でよく知られている日本人経済学者も含まれている。"HISTORY" という用語は、経済学の現在を含む学説史を指しているわけである。
  また、経済学史・思想史であれば必ず学ぶことになる諸学派やテーマについてもよく整理されている。第二次大戦後の日本の経済学界におけるマルクス学派の影響力の強かったことも紹介されていて、Alternative Schools として、ドイツ・イギリス・フランスの各「歴史学派」や「アメリカ制度学派」と並んで、「ネオ−マルクス学派/ラディカル派」を構成する一潮流として分類されていることは興味深い(図5)
 

                                  (図−5)

  経済学を学ぶ際に接する主なテーマについては、各専門分野の論点ごとに短い解説と文献一覧が付けられており、参考書代わりに用いることもできるようになっている。学生らしい工夫といえよう。
  さて、このようにして原典の全文を提供することは、データの入力作業と点検、サイトの構築などにかかる労力と時間、それに見合う種々のコストを考慮すると、個人あるいは小規模の組織で一挙にできるものではない。しかし、インターネットで使用するWEBプログラムの優れているところは、リンク機能を用いることで、こうした個別的な成果を一纏まりの形にして提供できることである。上で取り上げた二つのサイトでも紹介されている赤間道夫氏がそのホームページで提供している“ E-Text Links”
(http://www.cpm..ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/Akamac_E-text_Links/Akamac_E-text_LinksJ.html)は、この機能を生かして関連分野の裾野を広げ、簡単な解説とともに、多くの古典文献の全文テキストにアクセスできるようにしたサイトである(図6)。

 

                                 (図ー6)

 例えば、最近、経済学においても「進化」の概念が頻繁に用いられるようになっているが、赤間氏は、チャールダーウィン(1809-1882)を検索リストに加え、その『種の起源』1859年のテキストについて複数のリンクを張っている(——もっとも、経済学史を振り返れば、「進化」への関心それ自体は「進化」概念が登場したときから存在したから、取り立てて新しいこととはいえない)。また、経済現象に関する研究で言及されることは殆どないものの、経済学方法論ではしばしば取り上げられるイマヌエル・カント(1724-1804)の『純粋理性批判』1781/87年や『実践理性批判』1790年、『判断力批判』1790年などの代表作の英語版全文テキストにも複数のリンクが張られている。ダーウィンやカントをインターネット上で読めるということは、こうした原典の全文テキストの提供が種々の分野で試みられていることを示している。
  赤間氏がこの試みを始めたのは、インターネットが普及し始めるのとほぼ同時期の1990年代半ばからであるが、このリンクの存在は、経済学史研究者や経済学史に関心を寄せる人たちの間では、日本のみならず国際的にも早くから知られ、その評価は現在でも高い。有名な古典的論文であっても、後世に出版された当該経済学者の著作集や論文集には収録されずにきたものも数多くあって、それらの原文を確かめるために頼ることのできるリンクの存在は、貴重である。     このように、経済学では(そして、おそらくは他の諸分野でも)、古典的文献の全文テキストの提供(事実上の電子出版)は、英語版を中心にかなり早い時期から進められてきており、それらは実際に利用されている。その多くは、提供するサーバーが大学などの教育機関に属することからみると、学生向けに用意され、授業等の関連で古典的文献を読ませる手段として構築されたものと推測できよう(もちろん、大学以外の機関が一般向けに、このような形でテキストの提供をしてないわけではないが、その扱いは付随的である)。しかし、こうしたことが可能であるのは、経済学の古典とされる文献が皆ヨーロッパ言語の中の限られた言語で書かれていることに大きく関わっている。経済学の原典の多くはもともと英語で書かれており、それ以外には、ドイツ語やフランス語で書かれたものが大部分を占める。ドイツ語やフランス語で書かれた原典のうち英訳されたものを提供する場合は、早い時期の翻訳を用いれば著作権法上の問題は生じない。ドイツ語やフランス語の原典テキストを提供するアメリカ合衆国のサイトもあるが、そのとき、テキストをサーバに収納するまでの作業は、日本語に比べてはるかに容易である。テキストをどのようにしてサーバに収納したのかを紹介するサイトはないが、殆どの場合、スキャナで読み取ったデータを用いていることは間違いないし、スペルチェック・プログラムなどを用いることで、読み取りデータの多くを自動的に点検できる。
  これに対し、日本語テキストの提供は、種々の面で困難が付き纏う。先ず、学生向けテキストとして日本語訳を提供する場合を考えても、学生が理解できる翻訳文の殆どは著作権法上の制約を受けることになろう。私が知るだけでも、明治期から第二次大戦期までに日本語に翻訳された経済学の古典的文献はかなりの数になるが、その多くを自由に読みこなすことは、私たちの世代でさえ困難が付き纏う。戦後に翻訳されたものが入手できないのであれば、むしろ原語で読んだ方が、読む速度も理解もはるかに早いのではないかとさえ思えてくるのが実態である。
  しかし、学生の場合にはそうはいかない。問題は、外国語が単に読めるか否かに留まらないからである。あらゆる学問がそうであるように、経済学にも特有の用語法があって、現代ほどに内容が精緻化していない時代の文献であっても、専門用語を身に着けない限り十分に理解できないことは多い。英語の原文を読む場合でも、そこに書かれた単語や熟語を適切な日本語に置き換えることができなければ、理解は容易に進まない。原語で読みこなすことができるようになるためには、その言語に関する知識のほかに、多くの専門知識とそれらを身に着ける時間が必要なのである。それゆえ、学生諸君にともかくも日本語で原典を読ませ、歴史に残る経済学者の考え方の基本的な枠組みを理解させようとする場合、電子媒体を利用するのは、現在のところ難しい。
  他方、技術面でも、日本語文をサーバに収納するのには、ヨーロッパ言語よりはるかに多くのコストを払うことになる。   明治期以来、日本の学問世界は欧米の知識の吸収に邁進してきた。そうとはいえ、その中で独自の思想や理論を展開し、あるいは、学んだ欧米思想や独自の思想・理論を日本社会に定着させようとした研究者は、経済学においても少なくはない。それらの人々の文献をインターネットなどを利用して電子的に提供することは、日本における科学の定着とその発展の道筋を探る上で、内外の関心ある人々にとってメリットの大きいものであることは否定できないであろう。国立国会図書館による電子図書館「近代デジタルライブラリー」の提供は、日本社会のより深い理解に貢献するものであることは間違いない。国会図書館は、そのための資料を画像データとして提供する道を選んだが、これが目下のところ最も現実的な方法であることも間違いない。しかし、読むことはできるとはいえ、画像データ化された文章をコンピュータの画面で、あるいは、印刷して読むことには苦痛を伴う。図書の印刷の形状などを調べなければならない場合はともかく、入手しにくい文献を広く提供するという観点に立てば、先に紹介したサイトのように、テキスト形式での提供の方が、利用者にとって利便性が高く、読みやすさも格段に高まるはずである。
  しかしながら、さらに重要なことは、こうした試みが、どの言語であるにしろ全文テキストをインターネットを利用して提供すればそれで終わりというわけにはいかないことにある。文献を提供するだけでは、書棚に本を単に並べるのと変わりない。書棚に並べられた原典を、指導者の指示に従って、あるいは自らの意思で通読することは、文献についての理解を深め、新たな問題を見出すという点では、意味のある重要な作業である。しかし、それに加えて必要なことは、どのような問題や論点がどの文献のどの箇所に関係するとされているのかを、逆に、その文献の内容全体が、どのような問題や論点と関連しているとされているのかを適切に整理し、その知識を必要とする人々に提供できるようになっていることであろう。
  インターネットは情報検索の場として、学生を始め社会一般に既に定着し、百科事典のように用いられつつある。だが、それは、情報検索の手段として必ずしも十分ではない。実際、検索サイト Google で「Adam Smith」を引くと、ヒット件数は約171万件に達する。これに、「price、goods、labor」を加えて全ての語を含むように絞っても、検索のヒット件数は1万7000件近くになる。十分な知識のない場合、インターネットを用いた情報検索は、時間の浪費と、戸惑いや諦めを齎すことになりかねないのである。全文テキストの提供や電子出版の試みは多くの可能性を秘めてはいるが、必要なことは、その可能性を知識の豊かな収集法に結び付けうるための啓蒙であり、そのための適切な方法を構築することであろう。電子出版や電子図書館は、その意味ではまだ、一歩を踏み出したばかりである。



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