明治21年の北講堂焼失と図書館  
  
  明治初期の函館における図書館活動を調査するため、当時の新聞を検索するという作業の中で、明治21年5月22日付の函館新聞に「札幌農学校出火の詳報」という記事をみつけたので紹介したい。これは『北大百年史』の年表によれば、明治21年5月、北講堂焼失と記されているものである。念のため札幌で発刊された「北海道毎日新聞」も検索してみたところ、5月17日付で、先の函館新聞の四分の一ほどのスペースでごく簡単に報じられていた。地元の新聞よりも函館の新聞に大きく報じられていることに奇異な感じがする。
 ところで、北講堂の焼失は農学校図書館にとっても大変重要な事件であった。それは北講堂の1階に読書室が置かれていたこと。もう一つは北講堂のすぐ南側、演武場との間に、クラークが防湿対策や採光の面で不満をもらしたという木造柾葺二階建ての書籍庫(書庫)があり、しかも北講堂とは30メートルも離れていなかったため類焼のおそれがあったからである。
 5月15日の深夜、0時5分頃、札幌農学校北講堂の東側にあった物置から出火、生徒溜り、教育室へ燃えひろがり、ついには北講堂を焼きつくし、午前1時30分頃にやっと鎮火した。この夜は東南の風が強く、講堂の北西にあった観象台と南東にあった書籍庫にも燃え移りそうな勢いであったという。幸い、他の建物には延焼することはなく北講堂のみの焼失で済み、農学校や師範学校の生徒の活躍により書籍庫の図書や北講堂にあった授業用の器機の多くは運び出され無事であったが、新聞は次のように報じている。

   「書籍庫は別手組観象台は三番組の消防組にて防き止めたり尤も書籍庫は最も危かり
   しを以て入口の戸を打破り和漢洋の諸書籍大概は他へ運び移したり −−略−− 又
  此の時の働人は仝校生徒及師範学校生徒凡百五十名其他手伝人消防夫等必死の働
  きにて書籍庫は各窓より書籍の雨をなし講堂は各窓よりは椅子テーブルの矢をつく如く
  抛出し夫れ等を搬ぶものゝ右往左往に駈廻り其勇敷こと譬へんことなかりき   以下略   

  その後、北講堂は翌明治22年の春(5月落成予定)までに再建されることになり、10月初めには総工費4,814円23銭4厘で小宮與吉に工事の請負が命じられた。そして、11月末までには建物の外観工事は出来上がったようである。明治21年11月17日付の北海道毎日新聞には「予て新築に着手中なる農学校の講堂は工事意外に捗取り本月中には外部の大体は出来上り雪中には内廻りの造作に取掛る手都合に運びしかば来る廿二年三月頃迄には悉皆落成に至るへしとの事なり」と報じている。   11月末には札幌もいよいよ雪の時期を迎えることになる。だが、その後の新聞には北講堂の落成の報をみるこはできなかった。                                     
                                                         (Fu)


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