博物館と図書館
総合博物館長 小泉 格(大学院理学研究科教授)

はじめに
「北海道大学総合博物館」は、ユニバーシティミュージアムの第4館目として、平成11年4月に発足した。大学院重点化構想が全学的に展開される中で、それらの最先端機能を有機的に統合させるインターファカルティ構想が新たに生まれた。その背景には、開学以来のリベラルアーツの伝統に基づくフロンティア精神・国際性・全人教育を理念とする「クラーク精神」があった。この「クラーク精神」と「エコキャンパス構想」とが、総合的な研究教育や実践的体験教育の場としての総合博物館の実現を嘉納にした。
 「総合博物館」の特徴として、エコミュージアム構想やサテライト構想など多数あるが、特徴の一つとして北方圏に関る博物館情報交流センター構想がある。北方圏の自然と文化に関する既存の学問領域を超えて北方圏の重要性を再認識するような斬新で統合的なプロジェクトを、教育と研究のために企画・立案・実施するのであるが、このことが検討され始めた段階において、多数の古い地図・図の類や絵画、写真、古文書などを保存・管理している付属図書館の「北方資料室」との関係をどう設定するかと言う問題から始まって、博物館と図書館との関係を考えるようになった。この誌面では、博物館一般、ユニバーシティミュージアム、総合博物館と図書館について述べる。

「博物館」の概念
博物館の一般的な概念としては、1975年の「国際博物館評議会」規約に「博物館とは、公衆に開かれ、社会とその発展に奉仕し、かつまた、人間とその環境との物的証拠に関する諸調査を行い、これらを獲得し、それらを保存、報告し、しかもそれらを研究と、教育と、レクリェーションを目的として陳列する、営利を目的とせぬ恒常的な一機関である」という定義がある。1951年に制定されたわが国の「博物館法」は「博物館とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリェーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和25年法律第118号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体、民法(明治29年法律第89号)第34条の法人、宗教法人又は政令で定めるその他のの法人が設置するもので第2章の規定による登録を受けたものをいう。」と定義している。
 このわが国の博物館定義は1951年に制定された「国際博物館評議会」の規約におおむね従っているのだが、「国際博物館評議会」の規約は社会風潮が凡そ10年毎に変革するのに合わせて見直されているにもかかわらず、わが国の法律は50年前に制定されたままで現状に合致していない。この時代錯誤による「博物館法」の欠陥が博物館活動に以下のような重大な支障をもたらし、わが国の科学水準を低下させている。すなわち、調査研究を副次的に評価しているために、学術と行政の境界及び権限と責任の所在が曖昧となっており、現場では有能な「学芸員」が雑務処理に追われ専門知識を充分に発揮できずにいること、図書館を博物館から除外しているために本来「文化財」として一体であるべき一次資料(標本そのもの)と二次資料(図書その他の文字・画像・音響・点字などの資料)の関係が明確でなく、分離分割されて管理(保存)・運営(情報伝達)・利活用(教育啓蒙)されていることである。

「学芸員」の雑務問題
 「博物館法」では、館長のほかに「専門的職員として学芸員を置く」とし、学芸員の職務を「博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関係する事業についての専門的事項をつかさどる」と規定している。しかし、学芸員の資格を有している大学卒業生の専門職への就職率はわずか数% であり、しかもせっかく専門職に奉職できたとしても、実際には「その他これと関係する事業」(雑用)に終始しているのが現状である。こうした弊害の源は、行政的な博物館の許認可権が都道府県の教育委員会にあること、及び博物館業務に関わる学術的な判断をするために博物館協議会が設置されているが、協議会委員の任命権は同じく都道府県教育委員会にあること、によって、行政と学術の境界が曖昧であること、権限と責任の所在が曖昧であることによって、「博物館」事業が十分に機能していないことにある。図書館という施設運営のノウハウに関わる実学を「図書館学」と言うとすれば、博物館の維持・管理・運営・在り方をつかさどる実学としての「博物館学」を国のレベルで一日も早く確立すると共に、現状の学芸員制度を見直して、「博物館」としての在るべき実体で維持・管理・運営できるようにすべきである。

「博物館」と「図書館」の分離問題
  欧米の「博物館」では、自然界を構成している事物とその変遷に関する資料、科学技術の基本原理とその歴史に関する資料、科学技術に関する最新の成果を示す資料などを扱う「自然系博物館」(科学博物館、自然史博物館、植物園、動物園、水族館など)、考古、歴史、民俗、造形美術など人間の生活と文化に関する資料を扱う人文系博物館(美術館、図書館、文書館、歴史資料館、記念建造物、考古学的遺構など)、及びそれらを統合した「総合博物館」が主体であり、それに自然公園、各種の科学センター、プラネタリウムなどが追加されている。
 各学問分野は、様々な「物」や「事物(事象)」を研究対象として、分析や解析、思考され、それらの研究結果を専ら「文字」で発表すると同時に、研究対象である「物」の収集と保管をはかる一方で、研究結果を「物」でもって展示する空間としての(個別的な)博物館を先進国は時間をかけて整備してきた。「物」を取り扱う所が「博物館」であって、「文字」としての書物や本を取り扱う所が「図書館」であるとすれば、わが国における両者の違いがはっきりとわかるであろう。社会全体が貧困な状況では、基盤である物に根差した本格的な学究的過程を経て物事の因って来る所以を追求することが経済的にできないために、先進国で成就した研究結果としての文字のみを輸入して教育や研究の糧とせざるを得ない。わが国における経済発展と技術革新が、昨今の豊かさと博物館ブームをもたらしたのであるが、一過性の流行事としてではなく一般市民の日常生活のなかに知的好奇心が確かに根付いた証であって欲しいと願うのである。一般市民が何かを学びたい、何かを知りたい、何かをみたい、心の安らぎを得たい、という願望をもって「博物館」を訪れて欲しいのである。また、図書館は無料であるが、博物館は有料であることは、わが国における両者への歴史的価値観が端的に表われており、そのことが公的資金の使われかたとなっているのである。このことは是正すべき重要問題である。

ユニバーシティ・ミュージアムの設置
  現行の「博物館法」の欠陥は、学術審議会学術情報資料分科会げ1995年に中間報告した「ユニバーシティ・ミュージアムの設置について」において大幅に解消されている。すなわち、�大学において収集・生成され、学術研究・教育の推移と成果を明らかにする精選された有形の学術標本を整理・保存・分類・収蔵する、�情報提供、�公開・展示、�学術標本群の充実やその有効利用を図るとともに、学術標本を基礎とした先導的・先端的な研究を促進する、�教育などを設置理由としている。
 これらを成就するために、「北海道総合博物館」は国立学校設置法に基づく教育研究機関として設置されたのであって、博物館法に基づく博物館とは性質を異にしている。一般博物館では実現し難い実験的な試行を行うパイロットミュージアムである。また、従来の単位認定による一般学芸員の教育育成とは区別される高度な専門知識と博物館の管理・運営法を教育する場とし、新たな上級学芸員を社会へ送り出すと同時に、一般博物館勤務の学芸員をリフレッシュ教育する組織を考える必要がある。

「収蔵品目録」の作成
 北海道大学に収蔵されている学術標本や資料を分類・整理・登録し、組織的な保管・管理を図るために文字と画像によるデータベース化(収蔵品の目録作成)が平成911年度の総長裁量経費及び科学研究費補助金によって促進されている。データベースは標本や資料についての正確な記述による特性及び多様な情報を公開するために必要であるし、データベース化された標本・資料は保管場所と分類に関する情報へのアクセスが容易となり、研究・教育に寄与することができる。しかし、特定の専門分野で作成されたデータベースは難解な学術用語が用いられていたり、ある特性だけが記述されているといった状況のために異分野でそれを直接利用することが一般に困難である。そのために語句の意味によって分類・配列したシソーラスを作成してベータベースの汎用性を高める必要があるし、オンラインでの情報検察をするために用語の標準化が必要になる。博物館事業の一つとして、研究対象となる標本や資料を観察して記述する際に用いられる専門用語の語義範囲を明確に限定して置く辞書をジャンル別に編纂することが考えられる。

キャンパス内の「歴史建造物」
 「総合博物館」は古い学術標本類を収蔵・保存すると共に、絶えずそれらを新しく利活用するための見直しをする必要がある。その上での展示公開には、大学全体、そして地域との連携を盛り込みながら、歴史との「共生」を意識した現在との接点で常に展示公開をする必要がある。この意味で、北海道大学の歴史を物語る「歴史建造物」や周辺の環境は「博物館」事業の対象であると考えられ、現在、平成11年度総長裁量経費によって「札幌キャンパスの自然と文化史」を学際的に検討している。地球環境科学研究科の平川教授は米軍撮影の航空写真から5,000分の1の詳細な地形図を復元中であり、工学研究科の越野教授はキャンパス内の歴史建造物のCG作成と旧農学部本館の40分の1復元模型を製作中である。林学教室(古河講堂)が竣工当時(明治42年)の状態に化粧直しをされ、また重要文化財にふさわしいモデルバーン等の一般公開の在り方が博物館の展示機能と合わせて検討されたという結果を得ている。学内にはこれ以外に明治34年竣工の旧昆虫教室や明治35年竣工の旧図書館などの「歴史建造物」が多数あり、それらの修理・修復などの保存管理は周辺環境の整備と合わせてキャンパス マスタープランに組み込まれているが、自然との共生というコンセプトの中で監視していく合同委員会を新たに設置する必要があるだろう。この原稿を書き上げた直後に、旧昆虫学教室や旧図書館など北海道大学の歴史建造物6件が「登録有形文化財」に指定されたとのニュースがもたらされた。

総合博物館と図書館
  筆者は1971年以来「深海掘削計画」に参加してきたが、1975年からは国際プロジェクトとして地球表層の70%を占める海洋底の堆積物と基盤岩を掘削・回収して地球環境と地球内部の変遷と原動力(ダイナミックス)を明らかにしようとしている。掘削船ジョイデスレゾリュション(18,600トン)による2ヶ月の掘削研究航海が終わる度に、航海記録のInitial Reports (平均900頁)とその後18ヶ月間の陸上における研究結果をまとめたScientific Results(平均650頁) の2冊を冊子体として出版してきたが、出版費用の高騰とメディア(表現手段)の革新によって1999年から全てCD-ROM化しており、近い将来にはインターネット上で処理することになっている。
このように情報メディアが多様化することに伴って、図書館における収蔵形態や情報検索も多様になることが予想される。主題からキーワードへ、さらに目次や妙録による内容へと、情報と検索の階層化が進むにつれて専門的知識がますます必要になる。そして、ついには専門分野毎に分散することになるだろう。そうなれば、中央図書館の管理体制の元に協調ネットワークが構築されることになる。この予測は現在進められつつある図書館の中央統合化計画とは相反する。類似の状況が「総合博物館」にある。本学の研究施設は各地に点在しているので、「総合博物館」が水産学部の「水産資料館」や農学部付属演習林の「森林資料館」、農学部付属植物園などを紹介する窓口の役割を務めるサテライト化を構想している。
 「総合博物館」と「図書館」は共に全学を横断しているだけでなく、機能的には一体化すべきものである。それらは単なる史料貯蔵庫ではなく、そこには人類の英知の結晶である文化財が収蔵されているという認識が必要である。博物館や図書館事業が停滞すると、標本や資料の「囲い込み」によって物置き場と化し、博物や図書情報の発信機能が停止して自閉することに成りかねない。そこは、可能な限り便利で、そして快適であり、時空の距離を超越して、今そこにあって目や耳や手で確認できるものを楽しめるアミューズメントスペースであることの理解が必要である。

     2001年に「北海道大学総合博物館」として生まれ変わる理学部本館の正面玄関を入ると中央階段の吹き抜けがあり、真上を見上げると、白壁、白 天井のドームが見える。この階段を3階までのぼり詰めると、ドームの天井近くの壁面の四方に、直径1m 近くのフランス製の円盤形をした陶製レリーフが東西南北に掲げられており、朝を意味する「果物」、昼を意味する「ヒマワリ」、夕方を意味する「コウモリ」、夜を意味する「フクロウ」が描かれている。これらは研究には一日中、朝も夜もないことを表し、研究と教育の理想としたものである。同じような理想を示すために、アインシュタインを引用してこのドームを「アインシュタインドーム」と呼んでいる。













 モデル展示中の「デスモスチルス」(模式標本)世界最初の全身復元標本。1933 (昭和8) 年に南サハリンの幌内川支流の気屯川上流でほほ1頭分の骨格化石が発掘され、1936 (昭和11) 年に全身骨格が復元された。発掘時の様子をモデル展示室で放映中である。この化石によってデスモスチルスが頑丈な4本の足を持っていることが初めて明らかとなった。臼歯の形が「のり巻を束ねたような形」をしていることからギリシャ語のデスモス(束ねる)とスチルス(円柱)を合成して「デスモスチルス」(束柱類)と命名された。太い足は陸上を歩くためのものであり、目がカバやワニと同じように体の上部に位置していることは水中生活をしていた証拠である。また、エナメル質の厚い臼歯は豊富にあった貝類を主食とするためである。温暖な気候の海辺近くで水陸両生の生活をしていた様子が復元される。全ての生命は海で誕生し36億年の長い年月を経てから陸上に進出したのであるが、その後に海に戻って行ったクジラ・イルカ・ペンギン・アザラシなどの子孫は現在も生き存えている。しかし絶滅してしまった動物も沢山おり、デスモスチルスは約1,900前に出現してから700万年後の1,200万年前までに現在型の氷河時代が始まった寒冷化気候による海退現象などの影響を受けて絶滅したのである。



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