十月十七日(土)
一日中ゴロゴロしている日に予定していたのですが、小型観光バスがホテルに寄ったので待望の市内観光に出かけました。運転手兼ガイド氏の言うとおり「好天気と名ガイドに恵まれて」サンフランシスコの名所を要領よく半日で見回ることができました。
サンフランシスコ名物のケーブルカー。観光客に人気で始発点は行列。交差点で停止している時にサイドステップに飛び乗ると便利。ケーブルカー同士がすれ違う時はお互い歓声を上げていた。
左図は,湾の外側から見たゴーレデンゲート。さらに右方にあるベイブリッジ(対岸のバークレーを結び,地下鉄「バート」も走っている)の方がより長く,しかも先に完成したが,こちらの方が有名。
圧巻は市のほぼ中央にある双子山(ツインピークス)の頂上からの眺めで、藻岩山の裏にもう一つ札幌があるという感じでした。
十月十八日(日)
シアトルヘ。乗り遅れを恐れて昼の便にしてましたが、今になって考えるとこれは用心のし過ぎでした。アメリカでの一日が移動だけで終わりそうです。短時間でしたがホテルの向いのシアトル市立図書館を飛び込みで見学させて貰いました。オンライン目録で市内の八つの市立図書館の全蔵書の検索・予約ができます。画面の所在情報欄に堂々と「紛失」と表示されるのが何点かありました。市民に良く利用されているようです。CD-ROM検索も盛んで、市内の美術品の画像データCD-R0Mサービスも提供準備中でした。
夜、食事するためダウンタウンに行きました。日曜のせいか少し寂しいくらい静かでそして清潔な街並みでした。食べきれなかったサンドイッチの半分を「お持ち帰り」にしてくれました。シアトルはいいところです。
左上図は,シアトル行きの便内。緊急時に備え,英語のできる人が1列に一人は居るように「席替え」をしているところ。右上図は,シアトル市立図書館。左の大きな建物はホテル(朝食無料,食べ放題)。
左上図は図書館内部。閲覧室内にエスカレーターがあった。右上図は,かにサンドイッチ
十月十九日(月)
ワシントン大学へ。構内が広くて図書館に着くまでが大変でしたが見つけた瞬間、疲れがフッ飛ぶほどの見事さでした。ゴチック調の優雅でかつ堂々した図書館は広々とした前庭の緑の環境にマッチして、しばし入館をためらうほどでした。最近増築した新館も広々とした造りで、玄関の大きなロビーにも検索端末を揃えてありました。
ここはWLN(Western Library Network)の基幹図書館であり精度の高い地域目録情報を維持していることでも有名です。二百万件を越えるこの目録データベースはCD-ROMも作成され他の中小図書館などで使われています。但し,目録の作成能率は気にしているようでした。ほかの大学図書館にも共通していたことですが学生用図書の充実にもかなり力を入れており、大きな開架閲覧室には古ぼけた本はほとんどありません。選書部には専門担当者がいました。図書館システムの開発は大学の計算センターと共同(外注を含む)で行われ、新らたに各種デ-タベースや全国の大学目録をコマンドなしに検索できるシステムをネットワーク環境で提供を開始したところです。高い天井の大聖堂のような閲覧室に世界的広がりの中で新しい情報の流れが取り込まれているのを感じました。
ここでインターネットを経由してHINESに入り電子メールで・御挨拶を送らせてもらいました。空路サンフランシスコに戻りホテルに着いたのは夜八時、疲れが出て来たのかそのまま翌日十時まで寝てしまいました。
十月二十日(火)
寝るだけなのに一泊八十ドルのホテルは広くて豪華すぎました。すぐ近くの安いホテルに移って少し得した気分になり日本料理店に入って天丼を食べることにしました。しかしキュウリとカリフラワーの天プラは残してしまったので少し損をした気分になりました。
昼からはまず、ひそかに計画していた裁判風景を見物するため映画などによく出てくるシティホールヘ行きました。傍聴席には私とほかに一人いただけ、写真を撮っていいかと手まねで尋ねたらあきれ顔で首を振られました。
少し反省しながら近くのハースティング法律大学に行きました。官庁街にある八階建のビルで四階-五階が図書館です。アメリカの判例・法令が教官用と学生用に二セットありました。閲覧室に面した大きな部屋では二十台位の端末を備え、教官が学生に判例データベースの使用演習をしていました。社会人・実務家の利用も多いのですが、夜には治安がよくないので夜間開館はしていないとのことでした。図書館職員+六人のうち男性は二人でした。
左図は,サンフランシスコのシティホールを市立図書館を背にして見たところ。市役所や裁判所,美術館などが入っている。
右下図は,ハースティン法律大学図書館閲覧室のなかのゼミ室。「人物遠景ならば写真撮影OK」とのことでした
次に、郊外のサンフランシスコ市立大学とリンカーン大学の図書館を見に行きました。リンカーン大学はビジネスの単科で大学全体で北大附属図書館より小さい位です。閲覧スペースに廊下を当て、すべて手作業の図書室でしたがCD-ROMと電話接続でいくつかのデータベースの利用提供をしていました。
十月二十一日(水)
先日見学したUCSFにもう一度行ってみることにしました。オンライン目録検索をゆっくり使ってみたかったのと、図書館の落ち着いた雰囲気と医学部のカフェテリアの格安のアメリカ料理をもう一度味わってみたかったからです。ゴールデンゲートの見える休憩コーナーでウトウトして、昼すぎからサンフランシスコ大学とゴールデンゲート大学の図書館に行きました。
サンフランシスコ大学は由緒あるカトリック系の大学です。UCSFを訪問したときすぐ向いの丘にお城のように見えていたので「飛び込み」で見学させてもらいましたが図書館は平凡な三階館のビルでした。自館の所蔵目録は殆どデータベース化が済んでおり、オフコンで目録検索と貸出処理をしていました。参考閲覧室には室内ネットワークによるCD-R0Mマルチ検索システムがあり、10台の検索端末は盛況でした。このシステムの館外からのアクセスは電話回線方式で六回線提供していました。図書資料は廊下にまであふれており、ちょっと離れたところに保存庫が二年後に完成するとのことでした。
ゴールデンゲート大学はビジネス街にあり、ビルディングだけの大学で、ビル内の・図書館・は参考閲覧室のような図書室があるだけです。講義に密着した教官指定図書と辞書類、各種データベースを検索できる二十台ほどの端末とがあり、室内は活気に満ちていました。夜間も・パート・の学生(単位取得の社会人)で盛況だそうです。 蔵書のほとんどは郊外の書庫に別置してあり、利用者が貸出請求用端末に申込を入力すると一時間以内に図書室に配送される仕組みになっています。ビルの各階に到着情報がみられる端末が備えてありました。
市内見学をかねて気軽な飛び込み見学とはいえ一日に三つの図書館を見てはさすがに飽きてきました。夕方からはカメラ片手に市内見物です。チャイナタウンは腹が立つほど活況でしたが、ジャパンタウンはいくつかの店も閉じられ、それほどきれいでもなく、歩いていてつらいものがありました。ホテルに戻ってもテレビは英語の番組ばっかりです。
十月二十二日(木)
地下鉄BARTに乗ってUCバークレー校図書館の見学です。通勤ラッシュ時でしたがソファーの様な椅子にゆうゆう座れてまるでリゾート列車気分です。
UCBでは主に、現在着手している大地下書庫建設の様子と建築・美術図書館の画像情報データベースシステムを見せてもらいました。
UC九校はリッチモンドに共同保存図書館を持っていますが、人文系の研究図書館であるドー図書館と学生図書館の間をつなぐ形で地下三階の書庫を建設中です。キャンパスの景観、地震対策、資料保存環境などを考慮したためだそうです。左図:UCBのシンボル,セーザータワーのすぐ近くに中央図書館(Doe Library)がある。右図は建築中の大地下書庫。
画像資料はさまざまな関心から利用されるので、図書資料のような目録記述、検索語では不十分です。またいくつかの資料を実際に見比べたりしてから利用することが多く、損傷も受けやすくなります。鮮明な(代用)画像を手軽にブラウジング(一覧する)できればこれらの問題の有力な解決策となります。ここの建築・美術図書館では7000枚のスライド画像をワークステーションでデータベース化しネットワーク上で検索サービスを提供していてアメリカでも注目されています。
北大附属図書館でも画像情報を含む北方関係総合データベースの構築する計画を持っています。これは画像情報と詳細な資料目録の文字情報データベースを統合させ強力なレファレンス機能を持たせた画期的なシステムです。附属図書館だけの力では困難ですがなんとか実現させたいと思いました。
十月二十三日(金)
背丈の高い列車、低いプラットフォ!ム、平屋の駅舎、なにやら西部劇風ですがここが名門スタンフォード大学のあるポアアルト駅です。大農地を解放して設立された大学の構内はどれくらい広いかわかりません。ここも二年前の大地震による被害が大きく、比較的近年に建てられた二つの図書館が閉鎖されたままでした。中央館は無事だったようで微妙なことで動かなくなる筈の地下書庫にある集密書架がスムーズに開きました。
図書館システムの開発は現在、大学の計算センターの共同組織によるRLG(Research Library Grourp)本部で行われています。このプロジェクトは全米有数の研究図書館が参加し資源共有のための蔵書管理・資料保存、特殊資料データベースの作成など共同事業もすすめています。また最近、データベースごとにことなるコマンドを自動的に判断する機能を持つなど、利用者の使い勝手に考慮した検索システムも開発されました。CJK(中・日・韓)資料入力システムも精巧で、漢字辞書機能は日本のワープロより優れていると思いました。フーバー研究所貴重図書室の人物資料も入力されていました。この元であるタイプ打ちの詳細な目録を見て感激したら、北大の北方資料目録を誉めたたえられました。
左図は東洋図書館(蔵書100万冊以上)のあるフーバー研究所(フーバータワー)。右図は,東洋図書館貴重図書閲覧室。
十月二十四日(土)
サンフランシスコ公共図書館は蔵書三百万冊、図書は廊下まであふれており書庫の増築を計画中でした。約百万冊はすでにデータベース化し、貸出処理は機械化していましたがオンライン目録として公開はしていませんでした。
サンフランシスコ大学と同じ図書館用ソフトでコマンド投入方式による検索システムはあるのですが、・市民・が簡単に操作できる検索システムを開発してから提供を開始するとのことでした。午後からまた街をフラフラ。一応高級百貨店や専門店にも入ってみました。身なりや持ち物に関心のなくともため息がでそうです。玄関のすぐそばには・小額コインを貰うことを職業としている人たちがいつでもいます。
十月二十五日(日)
ロサンゼルスヘ。機内からグラントキャニオンがかすかに見えることがあると聞いて出発を朝の便に変更してもらったのですが好天つづきのためか遠くの景色がかすんで見えませんでした(ほんとにみえるのかなー)。ホテルに着き、一泊五十ドルにしては豪華な部屋なので喜んでいたら夜遅くなっても車の騒音が絶えません。翌日は部屋を替えてもらったのですが今度はビルの空調設備のすぐそばでした。
十月二十六日(月)
南カリフォルニア大学図書館へ。ここではライマン館長のもとで、情報の増大、資料費の絶対的不足、資料の多様化・電子化、コンピューターネットワークの発
達、図書館の教育的機能など、大学図書館をとりまく状況の変化を強く意識した新しい図書館活動を展開し着々と成果を上げているところです。
図書館オンラインシステムには図書館目録、雑誌の目次、外部データベース、学内情報(広報の全文データ、日程など)・教務情報(カリキュラム、課題、指定図書リストなど)がメニュー方式で提供されていて、しかも館内だけでなく研究室・自宅からも検索できるようになっています。また、参考閲覧室のネットワーク対応端末からはアメリカ全土の各図書館の目録を検索したり電子メールの利用にも解放されています。映画資料や音楽資料などマルチメディア対応にも力をいれています。
音楽図書館では或る交響曲を選ぶと文字や画像による曲の解説や各パートの楽器の解説や演奏を聞いたり、逆に各パートを画面対応で鍵盤から入力し交響曲を作曲できるシステムがあり、何人かのへツドホーンをした学生が楽しんだり授業課題に取り組んだりしていました。 図書館に出版部もあり大手出版社と提携して研究業績・学術雑誌の電子出版も手掛けています。この大学でも新図書館建築に着手していますが、標語のもとで、小グループで学習効果・学術情報対応能力訓練等、図書館の・教育機能Lを考慮した斬新なものとなるようです。
ここの図書館はUCなどのように大規模なシステム開発部を持っていないにも係わらず大きな成果をあげているのに関心しました。図書館の強い意志と全学あげての支援あってのことと思います。
十月二十七日(火)
ロサンゼルス郊外のカリフォルニア州立大学ソースリッジ校へ。前日もバスでのルート探しをしましたが確証が持てず、悔しい思いで長距離をタクシーで行くことにしました。最近、百万冊を収容できる箱詰めの全自動書庫を完成したばかりのところです。オンライン目録の検索からの利用要求と連動して突如猛スピードで資料が詰め込まれた大きな箱が動きだします。利用者が待つ貸出力ウンターには集配所を経由して十分以内に届きます。建築費・スペース、人件費の節約になると共に資料の紛失や劣化防止から見ても効率的なようです。唯一の欠点は資料のブラウジング(ざ一っと眺める)ができないことですが、アメリカでは一般に件名検索手法が全国的に調整された形で蓄積されていることや、抄録付きの外部データベース提供が発達していることなど、日本よりは補完機能が用意されていますので今後新しい保存方法として有力視されるかと思います。
実質的な最終日。少し時間があったので最後に名門UCLA図 書館も見学しようかと迷いに迷った末、結局ハリウッド見物に行くことにしました。空港近くのホテルからバスを乗り継いで往復五時間、市内だというのに石油をくみ上げている所もありました。ロサンゼルスは本当に広いと思いました。
十月二十八日(水)
成田へ。いよいよ最後の11時間、時計とにらめっこです。一時間以上経ってもベルト着用サインが点灯されたままなのを見て,あっそうか!と思いました。
国際便は距離が長いのでゆっくり上昇していたのです。札幌-羽田間で経験させられたようなことは起こらないと気付いて旅の終わりに元気が出てきました。アメリカでの約二週間が急にいとおしくなり、忘れかけていた出来事をあわててメモに取りはじめました。
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訪問先で・一人旅で大変ですね,と言っていただいたことがありました。しかしもちろん一人で旅行できた訳ではありません。派遣を決めて頂いた方々には無論、
渡航手続きのすべてを(旅程の変更などの余分なご迷惑までかけて)やっていただいた事務局の方々、職場の同僚の皆さんの御協力がなければ飛び立つことさえできませんでした。アメリカでの多くの人から受けた親切も大きな励みでした。手製の紙人形のおみやげも好評でした。与えられた任務をどれだけ果たせたか自分ではわかりませんが、二十年は進んでいるアメリカの大学図書館あるいはアメリカの底力を垣間見て、学んだ点は多かったと思っています。私なりに消化し
て、館長以下新しい図書館作りに一丸となっている皆さんに少しでも貢献してお世話になった方々へのお礼にしたいと思います。
uno@lib.hines.hokudai.ac.jp