アメリカ東部図書館の訪問で感じたこと



  附属図書館情報システム課 
   情報処理掛長 菅原英一


<1>
 成田発ワシントンDC行きのJAL026便で隣りの席がアメリカ人だったのは幸運
だった。英語を読むことが仕事の一部とはいえ英会話になれているわけではない。
どんなつまらないことでも話しかけてみようと思った。成田からワシントンDC
までは約12時間の長丁場で、たまたま隣りに座った50歳前後のアメリカ男性のお
かげで気分はもうアメリカだった。持っていた文庫本を読むことを半ば放棄して、
彼との会話チャンスをうかがいながらワシントンDCへの思いをはせることから
今回の旅が始まった。

<2>
 ワシントンDC郊外のダレス国際空港から時差ぼけが取れないままホテルに到
着し、早速近辺の散策に出かけた。背の高い外人ばかりとすれ違い、自分は東洋
人なのだ、と感じた。日本人というよりは東洋人という言葉のほうがピッタリく
る感覚に自分ながら驚いた。
 絵ハガキを買うために書店に入り、書棚をしばらく眺めているうちに段々とア
メリカに居るのだという実感がわいてくる。図書館について書かれた本を探した
が残念ながら見付からなかった。その書店は書籍購入者のみが入店できる小さい
カフェを併設していて、音楽に関する本を一冊購入してからカフェに入った。カ
ウンターに座って、スキンヘッドの若い白人ウエイターに「ワン・ビーア・プリ
ーズ」と注文し、乾いた喉にビールを流し込み、ようやく長い一日の終わりを感
じた。
 平成7年10月1日から14日までの二週間で、米国議会図書館、メリーランド大
学図書館、シカゴ大学図書館、ニューヨーク公共図書館の4箇所を訪問すること
になっている。ホテルに帰り、奉仕対象や設立母体等それぞれ性格が異なる、訪
問先の図書館についてあれこれ想像しながら眠れない眠りについた。
ホテルからデュポン・サークルを望む
<3>
 ワシントンDCではとにかく米国議会図書館を見たかった。訪問日の前日の10
月2日、快晴のなか下見を兼ねて米国議会図書館を目指す。
 ホテルから徒歩で数分のデュポン・サークル駅で地下鉄に乗り込む。ホームは
札幌の地下鉄とは違い演出されたように薄暗い。陰影礼賛、といったところか。
  ユニオン・ステーション駅で降りて、地図を頼りに米国議会図書館の方向へ歩
き出し、見通しの良さにアメリカの広さを改めて感じた。綺麗に手入れされた緑
の芝生が広がり、リスが朝の陽光を浴びながら走っているのを見かける。「エク
スキューズ・ミー。フエア・イズ・ザ・ライブラリー・オブ・コングレス?」な
どと疎らな通行人に聞いたりして、合衆国最高裁判所や国会議事堂などを横目に
見ながら15分ほどかけて到着する。
 イタリアルネッサンス様式の建築とされるトーマス・ジェファソン館の前に立
つ。
 しばらくその外観に眺め入る。
 図書館員なら誰でもその名を知る米国議会図書館(The Library of Congress 
= LC)は、例えば、2,600万冊の図書・パンフレット、3,600万点の写本、その
他8,600万点を超える資料を所蔵する世界的に見て有数の図書館である。USMA
RC(米国議会図書館で作成する機械可読形式の目録)や米国議会図書館分類表
は現在までも直接間接に日本の大学図書館員をサポートしているものである。ま
た、米国議会図書館の記述目録規則(1949年版)をバイブルのようにして洋書目
録を作成した経験を有する者には、LCという名称それ自体が特別の意味を持つ。
 これがあのLCか。
 これだけでもアメリカに来た甲斐があったと思った。
 カメラを取り出し写真をとる。今見ると本当につまらないところも写真に取っ
ていた。
  しばらくしてから、ジェームス・マジソン館、ジョン・アダムス館とそれぞれ
アメリカの大統領の名を冠した他の二つの米国議会図書館の建物を見て回った。
  午後は、ツアーモービルという観光ポイントで乗降自由のバスに乗り、スミソ
ニアン関係の博物館やホワイト・ハウス、アーリントン墓地などを見た。ところ
どころで日本人らしい観光客を見るとその度に旅行者である自分を意識させられ
る。
米国議会図書館ジェファーソン館

<4>
 3日午前10時、アポイントメントどおり米国議会図書館のアダムス館の職員玄
関でハラス・ヒサコ氏とあう。アダムス館では自然科学関係の参考資料を見せて
もらった後すぐ目当ての電子図書館展示室(マジソン館)に向かう。
 ここの建物は三つとも地下は繋がっており、地下道のような廊下を案内され、
マジソン館に着いた。
 電子図書館の展示室では、「アメリカン・メモリー」というマルチメディア・
データベースや4,000万件を超える目録情報のデータベースなどを端末から検索し
てもらう。
 午後はスタッフ・ルームで実際の入力作業の様子などを見学することが出来た。
 説明者の話しを聞きながら、米国議会図書館での電子図書館化の様子が日常の
こととして進行してるさまが理解出来た。アメリカでは電子図書館化は実験的な
目標ではなく、図書館活動の一つの、そして、大変重要な現実である。溢れるほ
どの端末を置いて利用者に目録情報を検索させる程度のことはもう過去のことで
あり、現在は、一つの端末から目録情報はもとより、画像情報や全文データを提
供するのが普通のこととして受入れられている。
米国議会図書館マディソン館
<5>
 5日、メリーランド大学図書館へは雨の中タクシーで行った。大学があるワシ
ントンDC近郊のカレッジ・パークへはチップも入れて26ドルだった。
 メリーランド大学カレッジ・パーク校は、人里離れた農村部に伸び伸びと広い
キャンパスをひろげている。学生数およそ3万人の規模の大学である。
 戦後の日本駐留米軍による検閲資料(図書、雑誌、新聞等)の収集で著名なプ
ランゲ文庫見学が第一の目的だ。閲覧カウンターで入手した建物の略図を手にプ
ランゲ文庫のあるフロアに辿りついた。人気のない廊下でちょうど通りかかった
若い男性にプランゲ文庫のオフィスを確かめようとして、「エクスキューズ・ミ
ー」と声をかけた途端に、「日本人ですね」と言われてしまう。後で聞いたとこ
ろでは、彼は日本から来てプランゲ文庫の資料のマイクロ化を担当しているとの
ことであった。
 アシスタント・キュレーターという肩書きを持つ村上寿世氏からは、アメリカ
における特殊コレクションであるプランゲ文庫のデータベース化の現状を説明し
てもらう。図書館当局からの予算獲得の大変さであるとか、OCLC(オンライ
ン・コンピュータ・ライブラリー・センター)へのデータ提供の意義、等々。
 その熱気におされつつも、我が「北方データベース」がマルチメディア・デー
タベースとして構想されており、勿論インターネットを通して提供することにな
るであろうし、北大図書館での電子図書館化計画の重要なファクターである、な
どのことを力説してようやく多少のバランス感覚を取り戻す状態であった。
 一時間ほどをさいて同じフロアにある、メリーランド州の図書館情報システム
の中枢をなすメリーランド大学図書館の情報技術部を訪問した。責任者のラーソ
ン氏から大学あるいは州内のネットワーク構成を中心とした話しを聞きながら、
"library"とか "bibliography"などの言葉より、何故かFDDIであるとかFT
Pなどの用語が妙に親密に感じる。
 帰りぎわに、日本から持っていった小さい手みやげを渡しお礼を言うと、「ノ
ー・プロブレム。イッツ・マイ・プレジャー。イッツ・マイ・プレジャー!」と
言って握手を求めてきたラーソン氏の人なつっこい笑顔が忘れられない。

メリーランド大学図書館中央館

<6>
 その後、シカゴ大学図書館、ニューヨーク公共図書館を幾つかの失敗をしなが
ら見てまわり、10月13日無事帰国の途についた。
 この他にも、アポイントメントを取らずに、数カ所の図書館を見学したが、ど
の図書館でも行ってがっかりしたという印象は受けなかった。図書館員は皆自ら
を積極的に押し出す姿勢で仕事をしているように見え、アメリカでは図書館活動
そのものが研究や生活に根付いている歴史を持っていることを痛感した。
 戦後、私たち日本の図書館員の多くがアメリカの図書館活動や図書館学から有
形無形の影響を受けてきているはずだ。そして、今もなお学ぶべき多くのことが
あると思う。その中心をなすのが、図書館サービスをどう拡張して利用者(大学
図書館の場合は研究者・学生)への便宜を計っていくのかを考えて実践するとい
うことにあるとすれば、その思想なり理念なりを表現する言葉は大切だ。そして、
言葉を生み出す現実と生み出された言葉が示す実際を知ることは更に重要である。
日本にいてアメリカの文献等を読んでいるだけではなかなか感得しにくいことを
ドラスチックに教えてくれたのが今回の出張であったと思う。
  だから、当面する課題を解決することができる私たちの言葉を見つけていけれ
ば、と思っている。
 最後に、平成7年度北海道大学国際交流事業基金によって、このような有意義
な機会を与えていただいた本部事務局の皆様をはじめ、附属図書館の皆様に感謝
いたします。

  [本稿は、「北大時報」506号(平成8年5月号)に掲載されたものに
   写真を一部追加等したものです。]