コレクション 【 その他 】 (2005年度収集分)

反ソヴィエト系新聞コレクション  /  軍事論集 Военный сборник (1858-1917) / 中村泰三氏所蔵資料 /
ハプスブルク帝国期オーストリア議会議事録(1861-1918)


スラブ研究センターニュース「図書室だより」に掲載の解説などを編集したものです。


(1) 反ソヴィエト系新聞コレクション

 スラブ研究センター図書室では、オランダIDC社の製作した反ソヴィエト系新聞Anti-Soviet Newspapers(全91リール)の購入を開始しました。これは、サンクト・ペテルブルクにあるロシア国民図書館Российская национальная библиотекаの非公開特別保管庫спецхранに保管されてきた、主としてロシア内線期にボリシェヴィキ権力支配地域外で刊行されていた新聞、 500紙余りを収録するもので、その目録は、同館より、Несоветские газеты 1918-1922 : каталог собрания Российской национальной библиотеки. (Санкт-Петербург, 2003)として出版されています。
 目録の序文によると、1990年に当時のレーニン図書館(現ロシア国立図書館 Российская государственная библиотека)、サルティコフ・シチェドリン公共図書館(現ロシア国民図書館)および全連邦書籍院Всесоюзная книжная палатаが新聞総合目録Газеты первых лет советской власти1917-1922.(全4巻, 北大未所蔵)を共同出版しましたが、公開フォンド分だけを扱っていて、ここに収録された新聞は、その範囲外をカバーするとのことです。という訳で、ここに収録される新聞の傾向は全てが必ずしも反ソヴィエト系ということではなく、むしろソ連時代の情報統制を反映したものと理解すべきでしょう。たとえば、チタで発行された極東共和国政府の機関紙 Дальне-Восточная Республика の1920年5月から1921年7月分はここに収録されており、さらに上記総合目録への参照がなされています。これは、ソ連時代において同紙は1921年7月以降の分が公開フォンドにあったことを示唆するものと思われます。
 目録の巻末には、出版地索引および人名索引が付せられています。出版地索引を見ると、シベリア, 極東の諸都市ではトボリスク(12紙)、トムスク(15紙)、バルナウル(14紙)、クラスノヤルスク(12紙)、ヤクーツク(6紙)、イルクーツク(16紙)、チタ(20紙)、ウラジオストク(22紙)が目に付きます。中東鉄道の拠点ハルビンは7紙、尼港事件で知られるニコラエフスク・ナ・アムーレは5紙を収録します。ボルガ・ウラル地域では、カザン(5紙)、オレンブルク(11紙)、サマラ(15紙)、ウファ(12紙)、チェリャビンスク(9 紙)、ペルミ(7紙)。ステップ総督府所在地のオムスクは41紙を収録し、セミパラチンスクは10紙あります。カフカス地域では、チフリス(4紙)、バクー(5紙)、ピャチゴルスク(12紙)、ウクライナでは、キエフ(12紙)、ハリコフ(24紙)、オデッサ(15紙)など、北ロシアでは、アルハンゲリスクの10紙が目に付きます。
 個々の新聞の収録状況については、断片的なものが多く含まれるのは、発行当時の混乱した政治・社会情勢により致し方ありません。しかし、かなりの程度揃っているものも含まれており、内戦期の諸地域/諸勢力の動向や社会情勢を知る上で、重要な情報源となることと思われます。


(2) 軍事論集 Военный сборник (1858-1917)

 『軍事論集Военный сборник』は、1858年に創刊されたロシア陸軍省の月刊雑誌です。その発刊に際しては、当時カフカス軍参謀長で、その後1861年から1881年まで陸軍大臣を務めたドミトリー・ミリューチン(1816-1912)のイニシャチブがありました。帝政ロシア政府機関の定期刊行物によくあるように、当初、内容は公式部 официальная часть と非公式部 неофициальная частьに分れ、公式部には、軍政、軍令関係の布告類を掲載し、非公式部には、軍事関係の論文や回想などの記事を収めていました。その後、1869年になって『ロシアの傷病兵』紙を同じ編集部で編集することとなり、公式部は『ロシアの傷病兵 Русский инвалид』に引き継がれました。
 同誌の編集に長く携わったФ.А.Макшеевは、19世紀初以来のロシアの軍事関係雑誌および同誌の成り立ちと発展を回顧する文章をその1908年 4、5、6、11月号および1916年6月号以降に連載しましたが、残念ながら、1871年までの分で中絶しています。
 スラブ研究センター図書室は、同誌の創刊より1917年1月号までを収めた、オランダIDC社の製作したマイクロフィッシュ4201枚を購入しました。センター図書室は、同誌に先立つ1848年に創刊されたロシア海軍の雑誌『海事論集 Морской сборник』について、マイクロフィッシュをすでに所蔵しますが、『軍事論集Военный сборник』が加わったことで、帝政ロシア軍事史を辿る雑誌の両輪を得たと言えるでしょう。


(3) 中村泰三氏所蔵資料

 中村泰三氏は、1933年生まれ。ロシア・東欧の地理学を専門とされ、大阪市立大学において長く活躍されてきました、わが国におけるこの分野の数少ない専門家のひとりです。本センターにおいても、1992-1993年度に客員教授を務められました。現職は、京都女子大学教授です。
 昨年、センターの原暉之教授を通じて、所蔵資料の寄贈についてのご相談をいただきました。リストをいただいて調べましたところ、全部で2,300点を超える資料の大部分はロシア語資料ですが、一部、ポーランド語、ブルガリア語など東欧諸国語のものも含まれること、分野的には、大きく分けて、経済学関係のものと地理関係のものがあり、そのうち、前者は半分以上北大既存の資料と重複するものの、後者については重複しない資料が相当あることが判りました。ロシア・東欧の地理関係のコレクションは、全国的に見ても、九州大学の三上文庫、北大附属図書館のギブソン文庫等がありますが、まだまだ手薄な領域のため、北大に収蔵することは意義が大きいということで、附属図書館に相談申し上げましたところ、重複部分を除いた上で、個人文庫として扱うことができるということで理解をいただくことができました。本年7月に資料を受贈し、現在、附属図書館において登録および目録の作業が進行中です。最終的な受入数量は確定していませんが、1,600点程度と見込まれます。
 本資料は、2005年度末前後には整理が完了し、附属図書館本館書庫西4階に排架されて利用可能となる見込みです。



(4) ハプスブルク帝国期オーストリア議会議事録(1861-1918)

 ハプスブルク帝国の帝国議会Reichsratは、ハプスブルク家諸領邦の身分制議会にその起源を持つとされる。1848年のオーストリア三月革命に際して召集された憲法制定帝国議会Reichstagは7月に開会したが、10月にウィーンがヴィンデシュグレーツ将軍の手に落ちると、モラヴィアのクレムジルに移り、憲法草案の審議を続けた。しかし、政府は翌1849年3月にこれを武力によって解散し、欽定憲法を公布した。さらに、この憲法も発効することなく、1851年末のシルヴェスター勅令によって廃止された。
 1859年のイタリア戦争での敗北後、1860年に出された十月勅令は、領邦議会の代表からなる帝国議会Reichsratを設置し、これに限定的な立法権を付与したが、翌1861年の二月勅令はこれを修正し、皇帝の任命する議員から成る貴族院Herrenhausと領邦議会の代表から成る衆議院 Abgeordnetenhausの二院から構成される、より広範な立法権を持つ議会として、これを規定し直した。この帝国議会は同年5月に開会されたが、ハンガリー、クロアチア、トランシルバニアなどはこれに反対して代表を送らず、また、開会後に、チェコ人、ポーランド人がここから退場するなど、議会運営は軌道に乗らなかった。
 普墺戦争(1866年)の敗戦の翌1867年、帝国はハンガリー王国との和協(アウスグライヒ)によって、オーストリア=ハンガリー二重君主国として再編成された。帝国の西半分のオーストリア側と、東半分を占めるハンガリー王国は、共通の君主を戴きながら、別個の政府と議会を組織し、共通事項である外交・軍事・財政以外はそれぞれが別個におこなうこととなった。オーストリア帝国議会は、1867年これを認め、同年末に発布された十二月憲法とよばれる新憲法の下で再出発した。
 新帝国議会においては、皇帝の任命する議員から成る貴族院Herrenhausと領邦議会の代表者から成る衆議院Abgeordnetenhausの二院の権能は対等とされ、皇帝には依然として議会の解散をはじめとする多くの大権が留保されるなど、絶対主義的な性格が濃厚な体制がとられたが、このオーストリアで実質的にはじめての立憲君主制は、第一次世界大戦末までのほぼ半世紀にわたって維持された。ただしこの間、衆議院選挙制度は、1873年に領邦議会議員の互選から直接選挙制に移行し(ただし4つのクーリエから成る制限選挙)、1896年には、これに普通選挙により選出する72議席が追加され、 1907年にはクーリエ制が廃されて選挙制が男子普通選挙に統一されるなどの改正を経たが、ナショナリズムの勃興期における多民族国家を背景にした議会運営には困難が多く、法案も予算も審議できない機能不全の状態に陥ることも稀ではなかった。
 本センター図書室は、ハプスブルク帝国史研究上の基本史料として、Olmus社の製作した上記オーストリア帝国議会議事録(Stenographische Protokolle über die Sitzungen des Herrenhauses des Österreichischen ReichsratesおよびStenographische Protokolle über die Sitzungen des Hauses der Abgeordneten des Österreichischen Reichsrates)のマイクロフィッシュ版(それぞれ698枚と5229枚)の購入を2004年から進めていたが、昨年秋に完結させることができた。これが、東欧史研究に関する北大のポテンシャル向上に資することを期待したい。
 なお、本資料は、国内では他に早稲田大学図書館、および慶応大学三田メディアセンターでも所蔵する他、九州大学には原版のかなりの部分が揃っているとの情報がある。