コレクション 【 その他 】 (2001年度収集分)

ミンスク県報知、ワルシャワ県報知(マイクロフィルム) / 19世紀末−20世紀初頭の中央アジア新聞集成(マイクロフィルム)

内戦期ロシア白軍パンフレット(1917-1920)(マイクロフィッシュ) / 花房日誌


スラブ研究センターニュース「図書室だより」に掲載の解説などを編集したものです。

コレクション名をクリックしますと、資料の書誌情報・所蔵巻号を参照できます。


(1) ミンスク県報知、ワルシャワ県報知(マイクロフィルム)

スラブ研究センター図書室では、米国 Norman Ross 社の製作する革命前ロシアの県報知 Губернские ведомости 一部を、1997 年度および 2000 年度に続いて購入することができた。今回新たに収蔵されたのは、ミンスク県 (1838-1917 年、122 リール) およびワルシャワ県 (1867-1915 年、38 リール) である。

センター図書室の所蔵する革命前ロシアの県報知は、これ以外は次の 4 県である。

アクモリンスク州 (1871-1919 年、42 リール)、カザン県 (1838-1917 年、71 リール)、キエフ県 (1838-1917 年、136 リール)、およびプリアムーリエ (1894-1917 年、48 リール)。


(2) 19世紀末−20世紀初頭の中央アジア新聞集成(マイクロフィルム)

[収録タイトルリスト]

上記と同じく、米国 Norman Ross 社の製作するこのマイクロフィルムのセットは、中央アジアを中心に、沿ボルガ地方やカフカースなどで発行された新聞を集めている。この中には、一部ロシア語のものもあるが、大多数はトルコ系の言語をアラビア文字によって表記したものであり、帝政ロシア末期からソビエト政権初期における、とりわけ非ロシア人地域の事情や知識人のありかたを読み取る上での基本史料と言えるだろう。センター図書室では、このうち、既収分などを除いた 410 リールを昨年度末に購入した。

聞くところでは、このセットは既に国内の 2,3 の図書館においても収蔵され、デジタル化を実施したところもあるようである (例えば小松久男 「イスラーム地域研究の試み: アラビア文字資料のデジタル画像化」 (http://www.l.u-tokyo.ac.jp/IAS/Japanese/library/online%20library/komatsu03.html#komatsu3top を参照)。 しかし、ロシア、旧ソ連の地方出版物の充実に力を入れているセンターとしては、この資料の整備は必至のことであったと考えている。


(3) 内戦期ロシア白軍パンフレット(1917-1920)(マイクロフィッシュ)

The Press of the White Movement : a collection of leaflets issued in territories under Anti-Bolshevik Governments (1917-1920)

製作 : IDC社 マイクロフィッシュ192sheets

ロシア国立図書館(Rossiiskaia natsional'naia biblioteka)の所蔵する、シベリアやボルガ流域などの各地において、白軍勢力下において刊行されたパンフレット、ポスター類、約2500点を収録する。

なお、この目録として、"Beloe dvizhenie : katalog kollektsii listovok, 1917-1920" (Sankt-Peterburg, 2000)が出版されている。


(4) 花房日誌

センター図書室は、最近、駐露公使としてペテルブルクに在勤していた花房義質(1842-1917)の日記を購入しましたのでご報告します。 花房義質は、岡山藩士花房端連の長男として岡山に生まれました。緒方洪庵の塾に学び、1867年には長崎から洋行の旅に出て、欧州、米国を経て翌年帰国。1870年から外国官御用掛として出仕。1872年、ペルー国船マリア・ルース号に乗船の清国苦力の虐待問題につき、仲介裁判のための代理公使としてペテルブルクに派遣され、訴訟の後は、日露国境画定交渉のため派遣された榎本武揚全権公使を補佐しました。その後、朝鮮に駐在し、壬午事変(1882年)においては、包囲された公使館を脱出して帰国、済物浦条約により、事変による損害の補償とともに、京城への駐兵などを認めさせました。

翌1883年より1886年までの3年間にわたり、駐露公使としてペテルブルクに滞在しました。

その後は農商務省次官、帝室会計審査局長、宮内次官、枢密顧問官、日本赤十字社社長などを歴任しました。

今回購入した日記は、官用常用日記簿3冊から成ります。すなわち、ペテルブルクに到着した1883年5月に始まり、1885年末に終わっています。主にペン書きですが、一部、鉛筆書きで、その日の出来事が簡潔に、時折出費額を伴って記されています。自署などは見られませんが、駿河台大学の広瀬順皓氏に見ていただいたところでは、日記に描かれる交際ぶりは公使にふさわしいとのことであります。

花房義質関係文書としては、これまで東京都立大学付属図書館および外務省外交史料館所蔵のもの、および宮内庁書陵部所蔵のものが知られています。

駐露公使時代の花房の活動は、その伝記『子爵花房義質君事略』(黒瀬義門編, 1913年刊)によれば、皇帝の即位式に出席し、条約改正問題に関与したという程度で、あとは淡々としたものだったようです。むしろ、当時の外交官の日常を窺うための材料ということになるのかも知れません。