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僕が30年以上前、初めて日本語教育に関わったときに学校から与えられた教科書は東京外国語大学附属日本語学校編『日本語Ⅱ』だった。内容を一目見て驚いたのは、僕自身が小学校の国語教科書で勉強した文章が幾つか教材として課を為していることだった。当時、日本語教育についての知識も技術もろくになかった僕でも「日本人小学生向けの教科書と外国人留学生向けの教科書が同じでいいものか」と疑問に思ったのを覚えている。しかし、実態としては、日本の国語科教科書の文章は、様々な形で外国人向け日本語教科書に取り入れられていたのである。そして、それは日本国内で出版された教科書だけでなく、海外で出版された教科書でも同様であったことが、この田中氏の研究によって(中国に関してであるが)実証的に明らかにされ、そのような教材選択が為された思想的背景が綿密に解明されている。日本語教育史研究は、近年徐々に研究者が増えているとは言うものの、その対象領域や方法にはまだ大きな進展が見られるとは言いがたい。その中で、この田中氏の著書は、従来の研究の枠を超えて日本語教育史研究を前進させる優れた労作である。序文だけで優に100ページを超えるそのボリュームにまず圧倒され、内外の文献を渉猟して丹念に論を積み上げる田中氏の知的努力は、この分野に限らず人文社会系の学問を志す人に大きな知的刺戟を与えるであろう。僕自身は、同じ日本語教育史研究者としてこの本を読んで完全に打ちのめされて自信喪失状態であるが、将来さらにこれを超える若い研究者の北大からの出現を期待し、多くの人に読んでもらいたいと考える次第である。 |